また、「他人のせいにする」といった防衛機制もあります。この防衛機制が全く機能しない場合は、何が起こっても全て自分のせいになります。それはあまりにもしんどいです。そんなときは援助が必要です。また逆に、他人を激しく責め立てるなど、人のせいにし過ぎるときもあります。それは、自分の中にある、やましい気持ち、うしろめたい気持ちなどを他人の中に見つけ出して、他人を攻撃する。そのことによって、自分のやましい気持ちやうしろめたい気持ちを軽くしようとしているのです。
例えば、あなたには差別意識があるとしましょう。実は、人には、本能・衝動・欲求として差別意識があるのです。世界中の歴史が物語っています。でも、それではいけないので小さなときから人権教育を受ける。ですから、あなたは、差別意識があり、どうしてもそれを口にしてしまいたいときに葛藤します。「言ってしまいたい。でも言ってはいけない」。激しく葛藤しているとき、平気で差別発言をする人が横にいたとしましょう。あなたは、その人を捕まえて、「お前は何てこと言うんだ!」と必要以上に激しく責め立てます。そのことによって、あなたは、自分の中にある「差別発言をしたい」といううしろめたさを軽くしているのです。このように過度に人のせいにするような場合は、葛藤が大き過ぎる場合が多く、援助が必要です。 |