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自己紹介

植田 寿之 (うえだ としゆき)



 今、考えていること
 対人援助とは、福祉、医療、保育、教育など、人を相手にする仕事の総称です。対人援助の仕事は、ストレスを溜め込みやすい。そして、燃え尽きてしまいやすい。実際、「うつ」などと診断され、休職している人たち、職場を辞めざるを得なくなってしまった人たちがたくさんおられます。また、そうしたしんどい仕事だということを聞きつけて、対人援助職に就こうとする人たちが減っているという現状もあります。「こうした現状を何とかしたい」、強くそう思っています。
 燃え尽きを防ぐには、「気のもちようを変えること」、そして、「専門性を高めること」が必要だと思います。専門性は、個人に帰属するものですから、もちろん対人援助職個人としての専門性を高める必要がありますが、組織としての専門性を高める必要もあるように思います。
 このホームページでは、「気のもちようを変えること」と「個人と組織の専門性を高めること」ができるように工夫をして、みなさまにお届けしたいと思います。また、対人援助の仕事の「やりがい」、「楽しさ」、と同時に「難しさ」も伝えていきたいと思います。「難しさ」を克服し、「やりがい」や「楽しさ」を感じるこの仕事に、たくさんの方々が関心をもたれることを願っています。




 経  歴
・1960年奈良県桜井市生まれ
・桜井市立桜井南小学校卒業
・桜井市立桜井中学校卒業
・奈良県立畝傍高等学校卒業
・同志社大学文学部社会学科社会福祉学専攻卒業
・社会福祉法人京都府社会福祉事業団(京都府立心身障害者福祉センター生活指導員)
・奈良県(社会福祉法人奈良県社会福祉事業団に出向、奈良県心身障害者リハビリテーションセンター生活指導員)
・同志社大学大学院文学研究科社会福祉学専攻博士課程(前期)修了
・皇學館大学社会福祉学部助手
・梅花女子大学現代人間学部講師及び准教授
→ 現在フリーで、講演・研修・執筆等活動中


 今までに就いた主な役職
・奈良県社会福祉士会会長
・奈良県運営適正化委員会委員(苦情解決合議体副委員長)
・奈良県地域福祉支援計画策定委員会副委員長
・社団法人日本社会福祉士会理事
・NPO法人なら高齢者・障害者権利擁護ネットワーク 痴呆性高齢者グループホーム外部評価審査委員会委員
・奈良県福祉サービス第三者評価員会・基準等委員会委員                      など


 取得している資格
 社会福祉士



 趣味・楽しみ
・めだかを育てること
・たまにゴルフに連れて行ってもらうこと
・愛猫うららに遊んでもらうこと
・スポーツクラブで肉体改造に励むこと
・推理小説を読むこと
・孫をお風呂に入れること
・おいしいと噂されるラーメン屋を巡ること






 自分自身をふりかえって
 ボクは、奈良県桜井市の田舎で生まれ育ちました。山あり、川あり、田んぼありののどかな町でした。小学生の頃は、担任の先生によく言われたものです。「植田くんはおとなしい。もっと積極的に発言しなさい」。班長などリーダー的な役割は大の苦手でした。
 大学生になって、この性格が大きく変わりました。京都障害児福祉協会というところで、障害をもった子どもたちを中心とするキャンプのお兄さんをしていました。ボランティアでした。キャンプ場は丹後半島や京都の北山にありました。キャンプネームは「おすぎ」。当時、おすぎとピーコが大人気で、ピーコさんという先輩がいたことが「おすぎ」命名のきっかけとなりました。キャンプでの役割はプログラムディレクター。キャンプのプログラムを立案し、中心になって進行する役割です。子どもたちや保護者の方々、他のキャンプリーダーなど人前で話す機会が多く、この役割がボクの性格を変えてしまったように思います。
 毎年、春と夏にキャンプをしました。その他の期間は、週に2回研修会がありました。グループワークやレクリエーション、障害についての勉強、また自然の中で行うキャンプに必要なありとあらゆる勉強をしました。この4年間の勉強とキャンプは、今のボクの源になりました。ちなみに大学にはほとんど行きませんでした。
 初めての就職先、京都府立心身障害者福祉センター内にある身体障害者療護施設では、介護の仕事をしました。その後、奈良県庁に就職し、奈良県心身障害者リハビリテーションセンターの開設準備にあたりました。県の条例を作るなど、一般の施設職員では経験できないようなことをさせていただきました。
 奈良県心身障害者リハビリテーションセンターでは、身体障害者更生施設(自立訓練センター)で、総括的な仕事をしました。利用者さんの入所の調整や職員さんの業務の調整が主な仕事でした。在職中に、長期間に渡って、奈良県社会福祉協議会主催の「スーパービジョン」に関する研修を受けたこと、そして、社会福祉士の受験資格取得のために通信教育を受けたことが、大学院に進学するきっかけとなりました。「全然理論を知らないまま対人援助をしている・・・・もっと勉強をしたい」、そして、「後進を育成したい」と思うようになったのです。
 同志社大学大学院では、岡本民夫先生につきました。思うように研究させてくださいました。表現は悪いですが、柵のない広い牧場で放し飼いにされているようでした。一人で遠くへ行っても、「そろそろもどらなければいけない」、そう思ってしまうのです。それがボクに対する岡本先生の育て方でした。それは、子どもの頃のボクの父親と同じでした。暖かさを感じました。
 大学院では、ソーシャルワークについての研究と同時に、日本社会福祉教育学校連盟の事務局の仕事をしました。黒木保博先生のもとで働きました。厳しかったですが、ボクを伸ばしてくれるすばらしい上司であり先生でした。ボクを認めてくださり、自信を深めることができました。また、事務局の仕事をすることで、多くの著名な先生と知り合いになることができました。ボクの財産です。
 皇學館大学では、助手として学生たちの実習のお世話をしました。講演先で時折出会う卒業生が活躍してしている姿を見て、いつも微笑ましく思っています。梅花女子大学では、初めて「植田ゼミ」をもつことができました。ゼミをもてば絶対にやろうと思っていた「ゼミ合宿」もできました。卒論の提出率と国家試験の合格率が高いゼミになりました。また、植田ゼミは、「仲間作り」も密かなテーマとして掲げていました。お互いに支え合い高め合った経験を学生たちは積んでくれたと思います。
 学生たちとの出会いはいつも新鮮でした。「この子たちを育てないといけない」と先生魂が呼び起こされました。しかし、しばらくすると決まって「ボクはこの子たちに育てられている」と感じました。多くの学生が、ボクを先生として育ててくれました。感謝しています。
 そして今、フリーとなって、対人援助職の方々の応援活動をしています。より専門性を高めることができるように、そして、しんどくなっても克服することができるように、講演や研修、執筆活動で応援しています。



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