ヘッダーイメージ 本文へジャンプ
対人援助のお勉強ブログ 2010年06月

 植田寿之にメールを送る

 お勉強ブログトップへもどる

 トップページへもどる


2010年06月30日(水)

スーパービジョンの必要性・・・援助者を支える必要性と機能
 5月にたくさん書いてきたように、対人援助の仕事は、相手が人であるだけに、また、チームや組織の中でいろいろな人たちと一緒にする仕事であるだけに、ストレスを抱え込みやすく、燃え尽きやすい。
 また、対人援助職に大切な自己覚知が深まると、嫌な自分、情けない自分と向き合ってしまい、しんどくなることもあります。これがストレスとなり、燃え尽きることもあるのです。
 対人援助職の一種の「職業病」ですので、誰もが多少はストレスを抱え、燃え尽きに陥ります。でも、ひどくなる前に防ぎたい。ですから、援助者を支える必要があるのです。

 さらには、この仕事に就こうとするあなたは、熱い思い、高い志をもっており、それを実現、つまり自己実現しようとして、一生懸命お仕事をします。ところが、自己実現しようとすればするほど、何かと衝突することがよくあります。組織が求めるものや制約、同僚や上司、利用者さんやその家族と衝突することになります。その衝突によって、あなたはジレンマや葛藤を感じることになります。自己実現のためには多くの調整が必要になるということです。その調整がすぐにうまくいく場合はよいのですが、なかなかうまくいかない場合、あなたはストレスを感じることになるのです。
 でもこうしたストレスというのは、一生懸命お仕事をしている証。ですから、ストレスを感じてもよいのです。むしろ、「ストレスを感じてなんぼ」の仕事だといえるかもしれません。でもストレスを感じてばかりだとたまったものではありません。ですから支えるスーパービジョンが必要になるのです。

 この支える機能は、スーパービジョン全体の土台をなすものと考えてよいでしょう。援助する人は援助されなければならないのです。



2010年06月29日(火)

スーパービジョンとは
 スーパービジョンとは、簡単にいうと、「スーパーバイザーが、スーパーバイジーとしての援助者を一人前の専門職として育てる過程」だといえます。大切なことは、「過程」であるということ。決して「結果」ではないということです。一定の結果を導くためのそのつどそのつどの流れが大切なのです。援助者を育てることがねらいですが、その先には、患者さんや利用者さん、生徒さんへの援助の質を向上させるというねらいがあります。スーパービジョンをする人のことをスーパーバイザー、受ける人のことをスーパーバイジーといいます。
 一般的に、スーパーバイザーは、最前線の職員に対しては中堅の職員が、中堅の職員に対してはさらに上位の職員あるいは管理者が担うことになります。「仲間」あるいは「同僚」という上下関係のない対等な立場で、お互いにスーパーバイザーやスーパーバイジーになる場合もあります。

 「スーパー」とは、スーパーマンに象徴されるように、「超越した」という意味。「ビジョン」とは、「見る」という意味。つまり、そもそもスーパービジョンとは、「上から見渡す」といった意味があります。
 映画館で洋画を観たとき、最後の映画制作に携わった人たちの名前がズラッと並ぶ字幕をよく見てください。「Supervisor」と肩書きのつく人が、たくさん出て来ます。あれは、映画を制作する各部署の指導監督者を指すのです。また、マクドナルドなどファーストフードのお店に行くと、「スーパーバイザー」という名札をつけた人が時々おられることに気づくと思います。その方は、本社から指導監督に来られた、店長よりも偉い人なのです。
 本来、スーパービジョンとは、「上から見渡し、指導監督すること」なのですが、対人援助の分野では、およそ100年の歴史の中で、ずいぶん意味合いが変わって来ています。



2010年06月28日(月)

職員間で支え合い高め合う
 職員間の人間関係をよいものにし、さらには、一人ひとりの職員が専門性を高めるための方策として、「スーパービジョン体制を整える」ということが考えられます。
 「スーパービジョン?」、「何それ?」。ひょっとしたら、医療や保育、教育の関係者には、あまり馴染みのない言葉かもしれません。しかし、介護も含めて福祉分野では、ずいぶん前から、その必要性が叫ばれ、組織の中の中間的な立場、あるいは指導的な立場になれば、その研修も受けることができるようになりました。
 人を相手にし、人を援助する仕事は、「対人援助」という言葉で総称することができます。医療にしろ、保育にしろ、教育にしろ、それに福祉にしろ、共通する専門性を高め、さらには、ストレスを軽減し、燃え尽きを防ぐことを実現するために、スーパービジョンはたいへん有効な方策だと思います。これからは、「職員間で支え合い高め合う」という観点から、スーパービジョン体制を整えることについて整理していきたいと思います。



2010年06月27日(日)

世代を超えた関係の連鎖
 関係の連鎖は、世代を超えても起こります。あなたも思い当たるところがあるのではないでしょうか。
 どのようなことかというと、あなたは、かつて上司や先輩から受け容れられたように、後輩を受け容れる、支えられたように支える、話を聴いてもらったように聴く、という現象が起こるということです。ということは、あなたは、上司や先輩から、受け容れられなかったように、後輩を受け容れない、支えられなかったように支えない、話を聴いてもらえなかったように話を聴かない、という負の連鎖も起こるということです。こうして、組織は継続していきます。
 こうした世代を超えた連鎖は、日常生活でいくらでも起こっています。例えば、母親が自分を育ててくれたように子どもを育てる、というのは典型的な例でしょう。
 あなたの職場では、世代を超えて好ましくない連鎖が起こってませんか。もし好ましくない連鎖が起こっているようでしたら、どこかで断ち切る必要があります。これも組織として考えていく問題です。あなただけの責任ではありません。



2010年06月26日(土)

パラレルプロセスを活用する有効性
 よくも悪くも職員間の人間関係と援助関係は連鎖するということがわかりました。いい換えると、職員間の人間関係は援助関係のモデルになるということです。
 この現象をうまく活用することによって、「組織としての専門性」が飛躍的に向上すると思います。では、なぜ組織としてこの現象を活用することが有効なのかを整理しておくことにします。

・あなたは、安心して上司や仲間に、不安や葛藤を表現することができます。間違っていることであっても、知らないことであっても、安心して表現することができます。
・上司や仲間は、あなたが表現している不安や葛藤から、相手が抱えている不安や葛藤を推測し感じ取ることができます。そして、上司や仲間は、あなたと一緒に、あなたの問題解決策を考えてくれます。そのことによって、あなたは、一人で悩んでいるのではないという安心感を得ることができます。
・上司や仲間との関係を通して、あなたが抱えている問題が解決すれば、あなたと相手の間に生じている問題を、同じような方法で解決することができます。

 以上のような有効性があるといえるでしょう。ですから、好ましくない連鎖が起こっていないか、どのようにすれば好ましい連鎖が起こるのかということを、組織として考えることが大切なのです。組織として考え、職員間の人間関係がうまく機能すると、「専門性を高めようとする過程での苦しみ」や「自分を知ることによる心の痛み」、「相手へののめり込み」などといった「あなた一人では克服しにくい問題」も自ずと克服できるようになります。ぎくしゃくした援助関係が解決できないのは、あなただけの責任ではないのです。



2010年06月25日(金)

好ましいパラレルプロセス
 職員間の人間関係や組織のあり方が、援助関係とつながっていることがはっきりしました。ということは、職員間の人間関係や組織のあり方をよいものにすれば、援助関係もよいものになっていくということが容易に想像できます。
 好ましい連鎖をもたらすためには、「職員間の人間関係や組織のあり方が援助関係と連鎖している」ということを知っている必要があります。ですから、このことを職場の多くの人たちに伝えていただきたいと思います。
 では、好ましい連鎖について考えていきましょう。ここでは、あなたと上司との関係について考えることにします。
 好ましい連鎖が起こる職場では、あなたは、早い段階で上司に相談します。なぜならば、あなたは、日頃から、上司に相談することで、安心感や心地よさを感じることを知っているからです。
 好ましい連鎖が起こる職場でも、あなたから相談を受けた上司は、あなたが抱えている不安や葛藤を目の当たりにして困惑します。でも、上司は、即座にあなた自身の不安や葛藤を受け止めてくれます。また、その不安や葛藤を生じさせる背景にあるものや、それによってあなたがどのような気持ちになっているのかを詳しく聴いてくれます。それは、あなた自身が状況や気持ちを表現することが大切なことを知っているからです。また、上司自身が困惑したのであれば、その困惑を与えたものは、あなたが相手に対して感じている不安や葛藤が投影されているものであることを知っているからです。
 そして、上司は、あなたの話にしっかり耳を傾け、以前に示したような、援助の態度で接することを心がけてくれます。あなたは、安心して複雑な気持ちを表現することができます。表現することによって、あなたは改めて自分自身の不安や葛藤、困惑している状況に気づきます。上司に受け容れられたあなたは、自分が相手を受け容れきれていなかったことに気づきます。なぜなら、上司から受け容れられ、あなたは、「受け容れられる」感覚を身をもって知ることができ、自分の相手へのかかわりの至らなさに気づくことができるようになるからです。
 受け容れられる感覚を知ったあなたは、上司に受け容れてもらったように、相手を受け容れることができるようになります。これは、あなたが、上司のあなたへのかかわりを模倣し、相手にフィードバックをしているということなのです。
 当たり前のことですが、「受け容れられる」感覚を知らない人は、相手を受け容れることができません。ですから、対人援助職には、「受け容れられる」など、援助の態度を、身をもって感じ取ることができる環境が必要になってくるのです。
 今は、あなたと上司との関係を取り上げましたが、こうした好ましい連鎖は、あなたと仲間の関係と、あなたと相手の関係の間にも起こります。こうした好ましい連鎖が生まれる環境を作ることは、あなた一人の力ではなかなかうまくいきません。やはり、組織として取り組む必要があります。職員間の人間関係など組織の環境が、直接、あなたなど最前線の援助者と相手との関係に、よくも悪くも大きな影響を及ぼします。ですから、よい環境を作ることは、対人援助のための「組織としての専門性」だといえるでしょう。



2010年06月24日(木)

好ましくないパラレルプロセス
 典型的な好ましくない例として、こんな場合があります。上司(スーパーバイザー)は、あなたに対して、「対人援助というのは一人で抱え込むものではない。ネットワークを築き、しかるべき資源につなぎ、いろいろな専門職や機関と連携しながら進めるものだ。あなたの対応はあなたの役割を超えている」などと指導をします。上司にしてみれば、「あなたはけしからん。個人的な感情で仕事をしている」などと感じているのです。実は、これは、上司自身のあなたに対する個人的な感情なのです。つまり、上司なりの考えどおりにあなたが仕事をしないことへのいらだちや怒りといった個人的な感情が表れているということなのです。
 あなたは、利用者に対する複雑な気持ちを上司に受け容れてもらえなかったと感じます。これはとても嫌な感情です。上司の指導はごもっともなことで、あなたもそうしなければいけないことはよくわかっています。しかし、それができないので不安や葛藤を抱え、悩んでいるのです。
 あなたは、「また、上司に怒られてはいけない。怒られたくない。自分に対する評価がよけいに低くなる」と萎縮しながら利用者にかかわることになります。そうすると利用者へのかかわりは、利用者を受け容れたいと思いながらも受け容れることができず、ぎくしゃくしたものになります。なぜなら、受け容れようとすることで、上司からまた、ごもっともな指導を受けることになるのではないか、また嫌な思いをするのではないかと思ってしまうからです。当然ですが、そのようにあなたにかかわられた利用者も嫌な思いをすることになります。
 上司のあなたへのかかわりが、あなたの利用者へのかかわりに与える好ましくない例のメカニズムです。このような連鎖は起こってませんか・・・?



2010年06月23日(水)

関係の連鎖「パラレルプロセス」
 50年ほど前から研究されているのですが、実は、次のような現象が起こっていることがわかっています。援助者と援助の対象である相手の関係と、援助者と上司(スーパーバイザー)の関係には、同時に同じような感情面の困難が現れるというものです。つまり、一方で生じた感情は他方でも生じる。二つの関係にはつながりがあるということです。このような現象を「パラレルプロセス」と呼んでいます。例えば、援助者は上司に褒められたいと思って振る舞うとき、その振る舞いは、無意識のうちに、援助者に褒められたい利用者など相手の感情と振る舞いを真似ているというです。また、相手がまだ言語化できていない感情を、援助者が上司に対して無意識のうちに表現していることにもなります。
 逆のパターンもあります。つまり、上司に突き放された援助者が上司に対して抱く葛藤を、そのまま相手に向けてしまい、相手を混乱させてしまう。その結果、援助関係を悪化させてしまうというものです。



2010年06月22日(火)

組織で取り組む対人援助
 あなたが、「専門性を高めようとする過程での苦しみ」、「自分を知ることによる心の痛み」、「相手へののめり込み」などを克服するためには、上司や仲間の支えが必要なことがわかりました。しかし、逆に、上司や仲間との関係が、あなたを窮地に追い込むこともよくあります。
 どんな仕事もそうかもしれませんが、対人援助の場合は、特に、組織やチームの人々の人間関係が、相手との援助関係に大きな影響を与えます。ですから、援助関係をよいものにするためには、自ずと職員間の人間関係をよいものにする必要があるということになります。
 また、以前書いたように、職員間の人間関係そのものが、あなたの大きなストレスになり、燃え尽きてしまうことがあります。実は、このストレスは、相手との援助関係から生じるストレスよりも深刻な事態をもたらすのです。あなたも職員間の人間関係のしんどさから、仕事を辞めてしまおうと思ったことはありませんか?
 ですから、明日からしばらくは、職員間の人間関係の大切さについて考えていきたいと思います。そのことは、対人援助が組織で取り組むものであり、いわば「組織としての専門性」を高めることにつながるのです。



2010年06月21日(月)

相手へののめり込み
 あなたは、次のような気持ちになったことはないでしょうか。「この人のために私が何とかしてやりたい」という気持ちです。このような気持ちになるきっかけはさまざまです。例えば、「相手がかわいそうでたまらない」。相手に、「あなたといたらすごく居心地がいい。まるで本当の娘のようだ」と頼られ、あなたも相手が「本当のお母さんのように思える」。相手が子どもの場合など、「かわいくてたまらない」。そうした気持ちから、「私が何とかしてやりたい」と感じるようになるのです。
 こうした気持ちは、援助の動機づけを高めることになりますので、決して悪いことではありません。ないと困ります。ところが、高じてくると、「私が何とかしてやりたい」というあなた自身の気持ちを満たすためのかかわりになる可能性があるのです。あなた自身の気持ちを満たすために、個人的な時間を割いて、個人的な判断で、相手に一生懸命かかわります。例えば、休みの日なのに出勤してお世話をしようとします。相手に頼まれてもいないのに、家族に対して、「面会に来てあげてください」と電話をします。個人的な買い物のついでに、相手の買い物もしてあげます。退勤のときには、毎日相手の居室を訪れて、「明日また来ますね」と声をかけます。家で過ごされている相手であれば、毎日のように電話やファックスをしてあげます。つまり、相手にのめり込んでしまっているのです。
 「いつまでもできるの?」と聞かれたら「できないかもしれない」。「誰に対してもできるの?」と聞かれても「できないかもしれない」と答えるしかありません。でも、あなたは、今、この相手に対してそうしないと気がすまないのです。
 こうした過剰なかかわりは、相手の自立しようとする力を奪うことになりかねません。「相手への援助」ではなく、「自分自身への援助」なのかもしれません。しかし、あなたにしてみれば、相手のためを思って一生懸命ですので、なかなかあなた自身は気がつかないのです。また、一生懸命なのにそれがうまくいかないと、あなたは葛藤を抱えしんどくなってしまいます。このようなときは、仲間や上司の客観的な目が必要になるのです。



2010年06月20日(日)

自分を知ることによる心の痛み(2)
 また、次のような例もあります。私が大学で教員をしていた頃の話です。ある学生が、社会福祉士の実習に行きました。児童養護施設です。その学生は、毎日毎日、担当の職員さんから叱られていました。「もっと積極的に子どもたちの輪の中に入りなさい。もっと積極的に職員に質問しなさい」。私が巡回すると、彼女は私の顔を見たとたん涙をポロポロ流し、「先生、もうダメです。実習を続けられません」と言いました。
 彼女の実習計画書には、「私は積極的に子どもたちとかかわり・・・、積極的に職員さんに質問をするつもりです」と書いてあります。よく話を聴いてみると、実は、「積極的に・・・」というのは、彼女の人生のテーマだったのです。小学生の頃から、担任の先生に「積極的に手をあげて発言しなさい」とよく言われていました。三者懇談のたびに、親を目の前にして「君は積極性が足りない」と言われました。
 彼女は、積極的にしなければいけないことは痛いほどよくわかっていて、実習計画書にまでも書いていました。ところができないのです。自分では精一杯やっているのにできないのです。他の大学から来ている実習生は、積極的に実習をしています。比べてしまって、「ダメだ、私にはできない」。ドカーンと落ち込むのです。彼女は、実習で嫌というほど情けない自分と向き合ってしまいました。そして、痛みを感じてしまいました。
 二つの例からわかるように、自己覚知の入り口に立ち、自分の現状やそのもとになる人生を振り返ったときに、大きな痛みを感じ、しんどくなるときがあるのです。嫌な自分、情けない自分は、なかなか受け容れることができません。受け容れることができないので、自分自身を直視することを避けます。あるいは、過度な防衛規制を働かせて、過剰に他人を責めたりします。患者さんや実習担当の職員さんを悪者にするのです。こうなれば自己覚知は深まりません。自己覚知が深まらないと、相手に抱いてしまう気持ちのメカニズムを知ることができず、自分の感情や価値観にしたがって相手を理解してしまいます。つまり、相手の側から相手を理解することができなくなります。そうなると、よい援助関係を結ぶことができません。相手とぎくしゃくした関係に陥ります。ぎくしゃくした関係に陥ると、ストレスをため込み、燃え尽きてしまいます。こうした悪循環が生じるのです。
 このような問題をあなた一人で克服することはかなり困難です。自分自身を直視できなかったり、過度な防衛規制を働かせているのは、あなたができる精一杯のことなのです。その結果、悪循環を生じさせてしまうのですから、あなたの心は飽和状態です。余裕も何もあったものではありません。このようなときには、仲間や上司などの助けが必要になるのです。



2010年06月19日(土)

自分を知ることによる心の痛み
 5月にすでに書いたことですが思い出してください。あなたは援助者である前に生身の人間ですので、当然価値観や感情をもっています。ですから、相手にいろいろな気持ちを抱いてしまいます。それは、いったいどこからきているのか、自分の人生を振り返り、気持ちのメカニズムを知ることによって、冷静に自分を眺めることができるようになります。このことを「自己覚知」といいます。
 少し違う角度から説明しますと、自己覚知とは、自分が今、どのような行動をとり、どのように感じているかを客観的に意識できること。また、自分をあるがままに受け容れることともいえます。
 ところが、自己覚知することはそんなに簡単なことではありません。自己覚知の過程で、実は、嫌な自分を、あるいは、情けない自分を見つけてしまうことがよくあるのです。
 例えば、あなたが担当している患者さんが、あなたにとってとても怖い人だとしましょう。大柄なおじいさんで、顔つきも怖く、言葉遣いが荒っぽい。おまけに声が大きくドスがきいている。あなたはよく怒鳴られます。そのたびに、あなたは震え上がって詰め所に逃げて帰ります。怖くて怖くて仕方がない。どうしてもその患者さんと関係が取れない。「どうして私はあの患者さんが苦手なのだろうか・・・他の看護師は平気だと言っているのに・・・」。自分の気持ちを振り返ってみます。つまり自己覚知の入り口に立ってみます。そうすると思いあたることがあるのです。あなたのお父さんは、10年前に亡くなりましたが、とても怖い人でした。子どもの頃によく怒られました。よく叩かれました。いつもお父さんに対してビクビクしていました。いつもお父さんの顔色をうかがっていました。いつもお父さんがどうしたら気に入ってくれるか、そればかりを考えていました。
 あなたは、亡くなったお父さんとの関係を患者さんとの間に再現してしまっているのです。そのことに気づきました。「ああ私はお父さんとの関係をまだ克服できてない」。そう気づき愕然とします。そして、自分を責めます。あるいは、亡くなったお父さんを責めます。あるいは、いつも傍らで見ていたのに何もしてくれなかったお母さんを責めます。これをここでは「心の痛み」と呼ぶことにします。



2010年06月18日(金)

専門性を高めようとする過程での苦しみ(2)
 資格を得て、すぐに100点満点の対人援助職になれるわけではありません。時間がかかりますので、その途中でへこたれてしまいます。専門性を高める過程では、例えば、目の前にいる相手は、すごい剣幕で怒っている。今にも殴りかからんばかりだなんていうとき、「相手を受け容れなければいけないことはよくわかっているのに、どうしたら受け容れられるかわからない」というようなことが起こります。頭ではわかっているのに、どうすればよいかがわからないのです。つまり理論と実践がつながっていないのです。こんなときは、あなた一人ではなかなか解決できません。
 また、こんなこともあります。相手は、自分のことは棚に上げ、人の悪口ばかりを言っている。あげくの果ては、あなたをも罵るようになった。あなたにはどうしてもその態度が許せない。受け容れようと思っても、どうしても許せない。無理をして笑顔を作るけれども、腹の中は煮えくりかえっている。苦しいです。こんなときも、あなた一人で解決しようとすると、それこそ燃え尽きてしまいます。
 なぜこのようなことが起こるのかというと、あなたは専門性を高めようとする途中の段階にいるからです。「わかっているのにできない」というのはその証拠です。専門性が高まってくるにつれ、次第に「わかっているのにできない」ことは減ってきます。ただし、どこまで到達したら専門性が頂点に達したといえるのか、それは何ともいえません。どんな専門職でも同じことです。いえるとすれば、「専門性は生涯磨き続けるもの」なのではないでしょうか。
 ということは、「わかっているのにできない」という苦しみは、ゼロにはならないかもしれないということです。その戦いは、専門職に課せられた使命なのかもしれません。ですから、仲間や上司などの助け、あるいは、仲間との支え合いが必要になるのです。



2010年06月17日(木)

専門性を高めようとする過程での苦しみ
 かつて私が大学で教員をしていたとき、よく学生が授業の振り返り用紙に書いてくれました。「先生の授業は、友だちや家族との関係作りにも役に立ちそうです・・・」。「私自身を磨く授業です・・・」など。そうなのです。対人援助職の専門性を身につけることは、一人の人としての人間性を磨くことにつながるのです。ということは、対人援助職は、人間性が問われるということになるのかもしれません。
 そこで、「私は、スーパーマンにも聖人君子にもなれない」という言葉が出てきます。しかし、対人援助職は、スーパーマンでも聖人君子でもありません。専門「知識」と専門「技術」と「価値」で成り立つ専門職なのです。その専門性の中に、人間性とも受け取ることのできる要素が含まれているのです。
 専門性は、すぐに身につくものではありません。地道な勉強と訓練が必要になります。これが苦しいところです。でも、よく考えてみると、専門職というものは、長期に渡る勉強や訓練をして資格を得るもの。また、資格を得たあとも引き続き勉強や訓練をして、より専門性を高めるものです。勉強や訓練を必要としない専門職はあり得ません。時間がかかりますが、気長に取り組んでほしいものです。



2010年06月16日(水)

援助の態度のまとめとして
 1日飛びましたが、援助の態度を締めくくっておくことにします。

 援助の態度を、バイステックの原則を参考にしながら7つに整理しました。この7つは、別々に独立して存在するのではなく、重なり合っています。境界線があるわけではありません。どれか1つの原則にしたがって相手と援助関係を結ぶにしても、他の6つの原則が関係してきます。例えば、相手の自己決定というのは、「あなたに裁かれず、あるがままを受け止めてもらい、一般論で片付けられずに自分自身の独自固有の悩みに耳を傾けてもらい、あなたの感情や価値観を押しつけられず、プライバシーに留意してもらい、気持ちに応えてもらいながら安心して自分の気持ちを表現する中で、改めて自分の気持ちや置かれている状況に気づき、『こういう気持ちなら、こういう状況なら、こうしたらいいんじゃないか』と自分で決めることができる」という流れになるわけです。
 ですから、この7つは密接に関連しています。考えようによっては、7つではなく原則は1つと考えた方が妥当かもしれません。1つの原則を7つの言葉で説明しているということです。異論があるかもしれませんが、ボクはそのように思います。

 明日からは、今まで書いてきたような対人援助職の専門性は、個人で身につけることももちろん大切ですが、個人では限界があること。だから、チームや組織の人たちの応援が必要であることについて書いていくことにします。



2010年06月15日(火)

毎月15日もノーお勉強デー・・・・・ちょっとブレイク(^^)
 今日は、若者たちに連れられ、ゴルフをしてきました。お正月以来でした。いつになくスカッと目が覚め、朝から体が調子いいこと・・・まるで小学生の遠足です。
 りっぱなおじさんですから、はしゃいでる姿を見られるわけにはいきません・・・そんな気持ちもありましたが、心は躍っていました。
 9時3分スタートでしたが、ゴルフ場に着いたのは、8時過ぎ。一番乗りかなあと思って受付を済ませて振り返ると、すでに一人の若者が・・・若者は、おじさんよりもはしゃいでいたのでした。

 時間が来てスタート。なかなか調子がよいではないですか・・・ドライバーはほぼまっすぐ。練習をしていないとは思えないほどうまく当たるのでした。ときおりアイアンの失敗はあるものの、ショットはまずまず。しかし、パターは最悪。ハーフで22パットも叩いてしまいました。でもまあ、結構満足の前半でした。お昼のハンバーグ定食がうまかった。

 問題は後半。雨が降り出し、カッパを着ました。20年前のカッパですから、雨が浸みるのです。もはやカッパとはいえません。カッパが腕にまとわりつき、動きがとれない。腕まくりをするも、もはや気持ちが焦っている。
 本当にゴルフは繊細なスポーツ。ちょっとした心の乱れがすぐに結果に現れる。こんなド素人でもです。

 雨が降り出し、早朝からはしゃいでいた若者は、前半の沈黙を破り、がぜん実力を発揮。やっと水を得た魚でした。

 後半の僕の結果はいうまでもありません(><)

 でも、後半が終わり、驚きました。雨の中を歩き回ったのに、結構走りもしたのに、ほとんど疲れを感じない。これは、はしゃいでいたからではなく、スポーツクラブでトレーニングを続けていた結果。確信はないがたぶん・・・・体力がついているような気がします。

 今日は有意義な一日でした。若者たち!こんなおじさんですが、また遊んでください(^^)今度はカッパを新調することにします。 



2010年06月14日(月)

⑦あくまでも側面からの援助を行う(自己決定)
 問題解決するのは相手です。あなたは相手が自分で適切な選択をし、適切に自己決定し、問題解決できるように寄り添う人。代わりに問題解決をする人でもないし、「ああしろ、こうしろ」と指図する人でもありません。あくまでも問題解決をするのは相手なのです。
 あなたは援助者ですので、今までの経験から、また客観的に見て、「相手はこうした方がよい」、「こうするべきだ」という解決法をもっていることが多いことでしょう。しかし、最終的に決めるのは相手なのです。ですから、相手にとって適切な決定、つまり自己決定をすることができるように寄り添うのです。そのつどそのつどいかに寄り添うかが大切なのです。
 たくさんの選択肢を目の前に並べて、単に「さあ、どれを選びます?選ぶのはあなたですよ・・・」というのは、相手にとっては少々酷です。相手は、「どれを選んでよいかわからない」状態なのです。それがしんどいのです。ですから、相手が、自分の気持ちや、置かれている状況をきっちりと振り返り、「じゃあ、どうすればよいか」を自分で決めることができるように援助するのです。



2010年06月13日(日)

⑥決して裁かない(非審判的態度)
 あるがままを受け止めることは、「決して裁かない」ことにもつながります。日常的に、誰もが自分の価値観から、「自分ならあんなことはしない」、「こうするべきなのに」と他人を裁きたくなることがよくあります。それが対人援助の場面でも起こるのです。そして、そのことをつい言葉や態度で相手に伝えてしまうのです。そうすると、相手は裁かれている気分になります。人は誰でも、葛藤や不安を抱え、混乱しているときほど、裁かれたくないものなのです。
 ですから、「あなたが裁きたくなる態度をなぜ相手は取ってしまうのか」。それを理解しようとすることが大切なのです。なぜかということを理解することができれば、あなたの判断も変わってくるでしょう。次に、「あなたはなぜ相手の態度を裁きたくなるのか」と自分を振り返ります。それがわかれば、「ではどうすれば相手を理解できるか」ということを考えます。そうすると、自ずと相手を裁かなくてもすむようになるのです。



2010年06月12日(土)

あるがままを受け止める(受容)
 以前、援助の対象となる相手は、葛藤や不安を抱えている場合が多いと書きました。そうした相手を目の前にすると、あなたは「いったいどうしろっていうの」と感じます。しかし、相手が最もしんどいのは、「どうしていいのかわからない」ことなのです。その気持ちをあるがまま受け止める。相手は、なぜそのように考えたり、感じたり、行動したりするのかを理解してほしいのです。とがめられたいと思っている人など誰もいません。あなたも同じです。特に、「どうしたらよいのかわからない」状態の相手は、今、力を失っています。あなたに受け止められて、あなたとの関係に安心できて、自分の存在意義を感じて、初めて力を取りもどしていくのです。
 このことは、あなたとは違う相手の人生、個性、生き方を相手の側から理解するということにつながります。あなたと違っても拒否しないのです。それは、自分の気持ちはともかく相手の気持ちを理解しようとする「共感」の態度に似ています。決して同情ではありません。
 また、「あるがままを受け止める」とは、無理難題を聞き入れることでもありません。無理難題をどうして言わざるを得ないのかという相手の気持ちを受け止めるのです。



2010年06月11日(金)

④一般論で片付けない(個別化)
  あなたは、相手の話を少し聴いて、「この間のケースとよく似ている」と思ったことはないでしょうか。そのような場合、「きっとこうに違いない。こうすればよいんだ」と思ってしまいがちです。実は、これは、経験を積めば積むほど陥りやすい落とし穴なのです。
 客観的に見ると同じような状況であったとしても、相手によって皆気持ちや状況の中味が違います。例え、全く同じ場面を体験していたとしても、抱えている人生の違いから、気持ちの中味が違うのです。それぞれ皆、独自固有の気持ちや状況を抱えているということです。
 援助者であるあなたは、それぞれ違う相手の気持ちや状況を個別に理解しようとします。決して一般論では片付けないのです。一般論で片付けてしまうと、相手は、「この人は私のことを全然理解しようとしてくれない」と感じるでしょう。相手は、自分の話に耳を傾けてほしいのです、他人のことではなく、自分のことを理解してほしいのです。



2010年06月10日(木)

③援助者自身の感情や価値観を脇に置く(統制された情緒的関与)
 あなた自身、感情をもった人ですし、価値観ももっています。ですから、相手の状況やあなたに対する言動から、あなたの感情が動きます。その感情は、今までの人生で培った価値観によって左右されるのです。ときには、相手や相手の話に登場する人物に激しい怒りを感じることもあります。可哀想に思うこともあります。それが、つい態度や言葉に表れるのです。そうなると、相手の側から相手の気持ちを理解することが難しくなります。
 対人援助の仕事は、人を援助する仕事ですから、あなたの感情や価値観が反応しやすい。ですから、援助者であるあなたは、自分自身の感情がどこから来ているのか、自分はどんな価値観をもっているのかということをよく知っておく必要があります。そして、相手の気持ちを理解できるように、それらを脇に置くのです。たとえ、何らかの形であなたの気持ちを相手に伝えることになっても、相手にとって最もよい伝え方は何か、どこまで伝えるかを吟味するのです。



2010年06月09日(水)

②感情に応答することで自分の気持ちへの気づきをもたらす(意図的な感情表出)
 感情に応答するとは、すなわち気持ちにしっかり応えること。葛藤や不安を抱えている相手は、多くの場合、マイナス思考をして、心の中で悪循環を生じさせています。そのために混乱し、自分の気持ちが整理できないでいるのです。
 人は誰でも、一般論ではなく、自分の気持ちを聴いてほしいものです。あなたがその気持ちにしっかり応えると、相手は安心感を得、さらに自分の気持ちを話してくれます。気持ちを表現することができると、相手は、改めて自分の気持ちや置かれている状況に気づきます。そうすると、状況は変わっていないのに、自分自身で見通しがつかめるのです。これを意図的にもたらすためにも、しっかり相手の気持ちに応えていくのです。



2010年06月08日(火)

①プライバシーに留意することで安心感を与える(秘密保持)
 あなたは悩みを他人に相談するとき、「誰にも話さないでほしい」ことを願ってはいないでしょうか。苦しい心の内を他人に話すことは、誰だって勇気や思い切りが必要です。援助の対象となる相手も同じことです。あなたは援助者ですので、相手にとってはうしろめたい過去や心の傷を聴く機会があります。というよりも、それが原因で何らかの葛藤や不安を抱え、過度な防衛規制を働かせているとすれば、聴く必要があるのです。しかし、もしかしたら家族に知られたくないことで苦しんでおられるかもしれません。ですから、相手のプライバシーを必ず守ることを言葉や態度で表して、相手に安心をしていただくということが大切になります。
 このことは、組織ぐるみでも行います。施設や病院、学校では、職員が利用者さんや患者さん、生徒さんのことで会議をします。そのときには、相手のプライバシーに関する情報も行き交います。ですから、職員全員でプライバシーを守ることになるのです。福祉関連の居宅サービスの場合などは、組織の枠を超えて、他の施設や機関、事業所の方々と一緒に、一人の相手にサービスを提供します。その場合は、組織の枠を超えたチームとしてプライバシーを守るのです。
 もし、ある情報を、相手の家族などに知らせる必要があるときなどは、必ず相手の了解を得ます。



2010年06月07日(月)

援助の態度を整理すると
 秋田の疲れを引きずりながら、夜中に書いています。2日間、飛びましたが、シリーズにもどります。

 福祉(介護)を学んだ人なら誰もが一度は、「バイステックの原則」というものを聞いたことがあると思います。これは、あなたが相手と援助関係を結ぶときの原則なのです。明日からしばらくの間、今までの話を集約するような形で、バイステックの原則を参考にして、私なりに援助の態度を整理しておきたいと思います。( )は、バイステックの原則の古い邦訳です。



2010年06月06日(日)

日本社会福祉士会全国大会(2)
 秋田から帰ってきました。秋田-伊丹の直通便が少ないので、関西から出かけた仲間は、ほとんどが同じ便での帰還となりました。

 今日2日目は、朝から分科会、昼から記念講演でした。
 朝、ボクはF分科会に出席。さまざまな分野の実践研究の報告でした。ボクの専門分野である「スーパービジョン」についての報告があったので、それについて感想を書いておきます。
 介護職とは違い、ソーシャルワーカーは、職員配置数が少ない。1人職場もあります。そんな中、いかに専門性を担保するのか・・・・そこに着目され、「セルフスーパービジョン」についての研究報告がありました。セルフスーパービジョンシートを開発され、その妥当性の検証、改訂・・・といった流れでした。
 ボクが感じたのは、それぞれのワーカーは、そのシートにどのような基準でインシデント場面を書くのだろうか・・・?利用者さんとの面接(かかわり)でうまくいかなかった場面を自分で振り返る。それは当然だろうが、うまくいった場面を振り返ることもあるのだろうか・・・?そして、前者と後者の違いはどのようなものになるのだろうか・・・・?このあたりを分析できたらおもしろいだろうなと思いました。ワーカー自身がうまくいったと思っても、それは、果たして適切な専門性を発揮した結果なのか・・・・たまたま相手と相性がよかったからなのか・・・・人相手の仕事の難しさが潜んでいるように思います。

 昼からは、「どうなる日本-政治と福祉のゆくえ」と題した読売新聞特別編集委員、橋本五郎氏の講演でした。まず、鳩山さんから菅さんへの政権交代劇を鋭く分析し、わかりやすく解説されました。後半は、まさしく人のために生きてきたご自身のお母様の生きざま、そしてお母様への思いを振り返られ、橋本氏が現在の福祉についてどのように感じているのかについて、お話されました。その語り口は圧巻でした。一人暮らしのお年寄りの孤独感の深さがわからない・・・そんな人が多い。福祉は建物を建てることじゃない。一人暮らしのお年寄りに声をかける、その心が大切なんだ。
 「建物を建てることじゃない」、「一人暮らしのお年寄りに声をかける」、これは、1つの象徴です。人の気持ちをわかろうとするその「心」がないことには、社会福祉士の専門性など成り立たない。 また、いかに「私」を捨て、「公」のためにやることができるのか、それが政治家に求められる。



2010年06月05日(土)

日本社会福祉士会全国大会
 日本社会福祉士会の全国大会で秋田に来ています。今日と明日は、シリーズを中断し、全国大会の様子をボクの主観でお伝えします。

 開会後、まず山村睦会長より、「会員3万人時代の挑戦」と題して基調報告がありました。会の今後の課題として5つの提言に加え、「マインドの必要性」が訴えられました。マインドとは、社会福祉士のスピリットとも使命感ともいえます。「今、社会福祉士には大きな期待が寄せられている。期待されているときにいかに応えていくのか・・・応えないことには、逆の効果がある」。また、「この3月、すべての都道府県社会福祉士会が法人化された。日本社会福祉士会と都道府県社会福祉士会は、本部支部の関係ではなく対等だ」という言葉が印象的でした。
 その後、厚生労働省 社会・援護局 福祉基盤課 福祉人材確保対策室長から、「これからの社会福祉士への期待」と題して講演がありました。アンケート調査の結果から、具体的な入職、離職の状況、給与額の状況などが報告され、改めて、状況の厳しさを思い知ることができました。人材確保、あるいは人材定着について、もちろん行政の責任も重いですが、個々の組織の取り組み、また、行政や組織のバックアップのもと、個々の職員の専門性向上の重要性を感じました。
 その後、「自殺予防と遺族ケアをとおして人権擁護と社会正義を考える」というテーマで、特別講演、シンポジウムが開かれました。最も印象的な話として、「自殺(自死)を防ぐというよりも生きていくための支援をする」ということ、「生きるということは、(心の)痛みを感じること・・・こうした人々と向き合う感性が必要」、「自殺(自死)を他の死と同じように語ることができる地域作りが必要・・・」、「自殺(自死)者数の最も多いことを『ワースト』、『汚名の返上』などと表現することによって、遺族はどう感じるのか・・・・」などがありました。
 自殺(自死)は他人事ではない。そして、社会福祉士の専門性は、この分野にも発揮されなければならない。特別講演とシンポジウムを受けて「日本社会福祉士会の宣言」が出されたことは、歴史的な出来事となることでしょう。 



2010年06月04日(金)

あえて相手のよいところを探す
 人というのは不思議なもので、相手の嫌なところや悪いところが見つかると、相手に対する悪いイメージができあがってしまいます。その嫌なところや悪いところが、あなたにとって許せないようなことであればなおさらです。そうすると、相手のよいところが見えにくくなってしまいます。あなたにもそんな経験があるのではないでしょうか。ですから、あえて相手のよいところを探すということが大切になるのです。
 例えば、すぐに他の利用者さんとトラブルを起こしてしまう利用者さんがいたとしましょう。いわばトラブルメーカーです。あなたをはじめ職員は全員、その利用者さんの言動にビクビクしています。でも、その利用者さんの生活をずっと見ていると、よい面もたくさんあるはずです。部屋がきちんと片付いています。花の水替えを率先してしてやってくださいます。あなたが勤務を終えると、「お疲れさま」と声をかけてくださいます。探せば、よいところはいくらでもあるのです。ただ、嫌なところや悪いところが見え過ぎて、よいところが見えにくくなっているだけなのです。
 また、あなたにとっては相手の嫌なところや悪いところも、違う角度から見るとよいところかもしれません。例えば、ちょっとしたことでも訴えてくる相手がいるとします。それが度重なるので、あなたにとってはうっとうしい存在です。声をかけられるたびに、「またか」と思います。あなたにとっては嫌なことなのです。でも、裏返せば、その相手には訴える力があるということなのです。それはよいことなのです。一つの事実は、いろいろな見え方をします。ある角度から見れば、悪いことに見えますが、反対の角度から見ればよいことに見える。そういうものなのです。
 よいところというのは、相手の強さ、前向きな力です。今後、その相手が自分で問題解決をしていくための原動力になるのです。その原動力を引き出すのがあなたの仕事。対人援助職は、相手が自分で問題解決をすることができるように、強さや力を引き出す仕事なのです。そのためにも、相手のよいところをあえて探すことが大切になるのです。



2010年06月03日(木)

自分を守れない、過度に守ろうとする相手を受け容れる(4)
 また、「しんどい気持ちを他のことでまぎらす」という防衛機制もあります。例えば、仕事でとてもイライラしました。仕事が終わってから、友だちに電話して、これから「カラオケに行こう」、「ドライブに行こう」、「飲みに行こう」、「買い物に行こう」などと、楽しいことをして、イライラを忘れようとすることです。今あげた例は健全で何ら問題ありません。飲み過ぎなければ、買い物でお金を使いすぎなければ、何ら問題はありません。適度な防衛機制ですので、むしろよいことです。ところが、人は弱い生き物で、陥ってはいけないものに陥り、しんどさをまぎらそうとします。アルコール依存、薬物依存、ギャンブル依存などがそれに当たります。そのような場合は援助が必要です。
 
 今まであげてきた援助を必要とする人たちには、どのような態度でかかわればよいのでしょうか。援助を必要とする人たちは、葛藤や不安が大き過ぎるのです。あまりにも大きいので、適度に防衛機制を働かすことができないのです。このような場合は、葛藤や不安を抱えた相手に寄り添います。あなたとの安心できる関係、「自分がここにいてもいいのだ」と思える関係の中で、相手は葛藤や不安を表現します。葛藤や不安をあなたに受け容れてもらった相手は、自分の存在意義を確認することができ、徐々に適度な防衛機制を働かせることができるようになります。つまり、力を取り戻すのです。
 相手に寄り添うことができるようになるには、勉強と訓練が必要です。あなた自身、大きな葛藤や不安を抱えているときに、気兼ねなく他人に相談できるでしょうか。その葛藤や不安が、「人の道に反していることをしてしまっている」ということから生じているとしましょう。そんなに簡単に他人には相談できません。なぜなら、あなた自身、してはいけないことをよくわかっているからです。相談すれば怒られることがわかっているからです。それだけ、相手に寄り添う援助関係は繊細で奥深いのです。ですから、勉強や訓練が必要になるのです。逆に言えば、勉強や訓練をすれば身につくのです。



2010年06月02日(水)

自分を守れない、過度に守ろうとする相手を受け容れる(3)
 また、「本当の気持ちとは正反対のことをする」という防衛機制もあります。「好き」なのに「嫌い」、つまり、愛情がほしいのに、相手につらくあたるといった場合です。なぜ、そのようなことが起こるのか。
 例えば、あなたは子どもの頃に大人にいっぱい愛情を求めました。でも、大人はいっさい満たしてくれませんでした。あなたには、子どもながらに、「愛情を求めてもどうせ満たされない」という感情の仕組みができてしまいました。あなたにとって、愛情がほしいということは、とてもつらいことなのです。どうせ満たされないことを知っているから。ですから、愛情がほしいというつらさを軽くするために、相手につらくあたるのです。本当は人を信用したい。でも、過去の経験から、信用してもどうせ裏切られることを知っている。だから最初から人を疑うのです。本当は人と仲良くしたい。でも過去の経験から、仲良くしようとしてもどうせ仲間はずれにされたり、いじめられたりすることを知っている。だから最初から一人でポツンといるのです。このような状況を過度に示す人には援助が必要です。



2010年06月01日(火)

毎月1日はノーお勉強デー・・・・・ちょっとブレイク(^^)
 今日から、『奈都子の夢』を連載します。ボクは、小説を書く勉強などしたことがありませんし、これを小説なんていうのは、とてもおこがましい・・・・ですから単なる「読み物」としておきます。
 主人公の奈都子は、特定の誰かをイメージしたのではなく、複数の教え子のキャラが混ざったようなキャラの持ち主。無意識のうちにボクの理想の教え子像を表現しているのかもしれません。ということは、草加准教授は、僕自身ですが、かなりキャラは違います。
 奈都子は、まだ、大学を卒業し、就職したばかり。今後、その成長を何年も追いかけ、書き綴っていきたいと思います。
 また、この読み物は、できるなら対人援助職以外の方々にも読んでほしいと思っています。対人援助というお仕事の楽しさ、やりがい、しんどさ、奥の深さを、奈都子を通してあるがまま表現していきます。たくさんの方々に、対人援助の魅力を知っていただき、対人援助職に就きたいと思っていただければ最高です。 

フッターイメージ