今日は、東大阪市介護支援専門員連絡会の10周年記念行事に参加してきました。市長さんご本人がご挨拶に来られました。そのこと自体、非常に意味のあることだと感じました。
第一部は、介護支援専門員(ケアマネジャー)、医師、介護保険事業者によるパネルディスカッション。「連携」というキーワードで、ディスカッションが行われました。まずは、主催者であり、一人のケアマネジャーであるY氏からの発題。介護保険制度が施行されこの10年、最初の頃はずいぶん混乱も見られたが、医療や地域との連携の大切さを強調されていました。
それを受けて、介護保険事業者のM氏は、走り続けた10年を振り返り、介護保険の原点として、自立支援、尊厳の保持、利用者本位、自己決定といった基本理念を忘れてはいけない。連絡会は、ケアマネジャーの船であり、一人ひとりのケアマネジャーが悩み、相談、共有することがエネルギーになると比喩的にエールを送られていました。
また、医師のN氏は、介護のことを理解しない医療関係者、医療のことを理解しない介護従事者がいる中、医療と介護の連携の大切さ、そのコーディネートをするケアマネジャーの存在意義を強調されていました。
さらに、介護保険事業者のH氏は、この10年、「コムスン事件」に代表される不祥事などがあり、関係者は、法令遵守に気を取られ、果たして、利用者の立場にきっちり立ってきたのかと問題提起をされ、ケアマネジャーを中心とするチームによるサービス提供の大切さを強調されていました。
いずれにしても、ケアマネジャーは連携の要。ケアマネジャーなくしては、介護をめぐる人々の暮らしを支えることはできない。市民の最も身近な存在として、しんどい気持ち、葛藤を抱え矛盾する気持ちを気兼ねなく相談できる相談相手として、ケアマネジャーは存在する。市民に寄り添い、そして、それをチームの専門職に伝える。そして、チームでサービスが提供できるようにコーディネートする。今後、状況に応じて制度はどんどん変わるでしょう。しかし、変わってはいけないものがある。それは、市民の側に立ち、一人ひとりの思いに沿った暮らしを営むことができるように全力を注ぐこと。それを確認するパネルディスカッションだったように思います。
第二部は、女優小山明子さんの講演。小山さんは、世界的な映画監督大島渚さんの奥様。大島さんは、14年前に脳出血で倒れた。その後映画制作に復帰はしたものの、肺炎や糖尿病、十二指腸潰瘍などを繰り返し、現在も闘病生活を送られている。この14年間、大島さんを支え続けてきたのが妻である小山さん。当時、介護保険制度もなく、家政婦協会に相談をされた。女優であったため、家事や夫の食事世話など十分にできない。そんな自分が情けないと振り返られた。
小山さんの一言一言には、夫である大島さんへの愛情が痛いほど感じ取られた。こんなにも愛情を注げるものなのか。でもそれは、病床の大島さんが小山さんを支えてきたからなのだろうと感じた。大島さんは、「ありがとう」といつもおっしゃる。その言葉を聞くとこの人のために何かをしたくなる。そんな相乗作用により、大島さんと小山さんは、支え合って苦難を乗り越えてこられた。そう感じました。
みんな、誰かの「おかげ」で生きている。それを感謝の気持ちとして表現できたら、お互い支え合い高め合うことができる。何かにつまづいたら、つい人のせいにしたくなる。「栄光を奪ったお前が悪い」。しかし、よく考えると、栄光はいつか過去になる。過去は過去として大切にしながら、いかにこれからの人生を考えることができるか、それが大切なんじゃないか。それを感じさせてくれるすばらしい講演でした。
「愛 小山明子」と書いた色紙をいただき、にわかに小山さんのファンになったのでした(^^)
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