次に、二つの専門性を整理しておくことにします。二つの専門性を、仮に「業務のための専門性」と「対人関係のための専門性」としておきます。前書の『対人援助職の燃え尽きを防ぐ ~個人・組織の専門性を高めるために』を併せて読んでいただけるとわかりやすいと思います。
例えば、二人の介護職がいるとします。仮に、西村さんと足立さんという名前にしましょう。二人とも女性です。同じ「介護福祉士」という国家資格をもっていますし、年齢も経験年数も同じくらいです。
西村さんの介護は、非常に丁寧で手際がよいという定評があり、他の職員は一目を置いています。車椅子からベッドや便器への乗り移り、着替え、清拭、入浴、食事など、お年寄りたちも「彼女なら安心して任せられる」と評価しています。また、お年寄りがなるべくナースコールを押して職員を呼ばなくてもいいように、ベッドサイドに必要なものや次の日の着替えを用意しておくなどの配慮も完璧です。
これだけ優れた介護技術をもっているなら、お年寄りには評判がいいのだろうと思うのですが、どうやらそうではなさそうです。
あるお年寄りが言いました。「昨夜、消灯のあと廊下で『あのー、さっき息子が・・・・』と西村さんに話しかけると、西村さんは、『息子さんは、さっき帰られましたよ。もう消灯したから早く寝てくださいね』と言って、そのまま私の横を足早に通り過ぎていきました」。
そのお年寄りは、息子さんが面会に来て、「この頃体調が悪くて、しばらく会社を休もうと思う」と言っていたので、とても心配していたのです。消灯の時間なので、いったんベッドに入ったのですが、心配で心配でどうしていいのかわからず、気がつけば車椅子で廊下に出ていたそうです。
どうやら西村さんには、お年寄りを遠ざけるようなところがあるようです。「とても忙しいのよ。話しかけないで」という空気を出しています。ほかのお年寄りからも「西村さんにはものを頼みにくい」「声をかけにくい」「愛想が悪い」などの声が聞こえてきます。
他の職員も、西村さんの介護技術には一目置いているものの、彼女がかもし出す空気や態度から「相談しにくい」「彼女は一人で仕事をしているみたい」「仕事はよくできるので文句が言えない」などとこぼしています。
一方、足立さんは、「これでよく国家試験に合格したなあ」と思えるくらいに介護技術は未熟なのです。今までお年寄りに大きな怪我をさせたことはないものの、乗り移り動作では、危なっかしい場面がよく見られます。食事介助をしていてもよくこぼしてしまいます。清拭をしていても、お年寄りから「ちょっと強すぎる。痛い痛い・・・」と叫ばれてしまいます。
ところが、足立さんの評判は極めていいのです。「足立さんは、とても明るく愛想がいい」「心配ごとがあれば、顔を見て、真っ先に『どうされたんですか?』と声をかけてくれる」「彼女に話を聴いてもらうと、とても気持ちがすっきりする」「彼女がフロアにいると、それだけで安心する」。お年寄りは口々にそう言います。「介護が下手で、ときどき痛い思いもするけれども、西村さんより足立さんの方がいい」。あるお年寄りは苦笑いしながらもそう言います。
「足立さんが未熟なところは私たちが補ったらいい」「彼女は、私を否定せずに愚痴を聴いてくれる」「しんどいときでも、彼女がいてくれたら明るく元気に仕事ができる」など、他の職員の評判も上々です。
極端な例をあげましたが、あなたは、どのように感じましたか。西村さんは、「業務のための専門性」が優れていました。足立さんは、「対人関係のための専門性」が優れていました。さて、どちらがいいのでしょうか。
言うまでもありません。対人援助の専門職には、どちらの専門性も必要なのです。どちらが欠けていてもダメなのです。とはいうものの、対人援助職は、生身の人を援助する専門職ですから、「対人関係のための専門性」が最も重要であることには間違いありません。
「業務のための専門性」は、国家試験でもチェックされ、職場でも教育が行われているところは多いと思います。ところが、「対人関係のための専門性」はどうでしょうか。現実問題として、体系的に教育を行っている職場は少ないのではないでしょうか。
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