ヘッダーイメージ 本文へジャンプ
対人援助のお勉強ブログ 2011年08月~10月

 対人援助のお勉強ブログトップページへもどる

2011年10月31日(月)

グループワークの専門技術・・・・・リーダーの役割(2)

③メンバー同士の関係を大切にする

 まず、メンバー同士で情報を交換できるように促します。例えば、ある利用者さんのことについて会議をしているとしましょう。担当者であるあなたが知らないことを、ほかのメンバーが知っているということもあるのです。職種が違えば、当然、知っていることも違ってきます。同じ職種であったとしても、特に、施設などの場合、あなたは二四時間ずっと勤務をしているわけではありませんので、あなたが知らないことをほかの職員が知っているということも当然あり得るのです。

また、メンバー同士で情報交換を行う際に、相互に気持ちを通わせるような働きかけも大切になってきます。「仕事だから気持ちの交流など必要ない」という考えもあるかもしれません。しかし、気持ちが行き来しないグループでは、お互いに喜び合うこともできない、悔しい思いを分かち合うこともできなくなり、極めてつながりの弱いグループになってしまいます。

さらに、グループの目的を達成するために話し合いますが、その際、メンバー同士の関係がよいものになるように働きかけるのです。そのときの具体的な専門技術として、たとえば、Aさんの発言を受けて、「Aさんは、このことについては○○な気持ちでいらっしゃるんですね」と、Aさんに確認しながら、ほかのメンバーを見渡し周知するといったことなどがあげられます。

④リーダーシップを分かち合う

 グループができて最初の頃は、メンバーはよそよそしく、お互いに探りを入れ合うようなところがあります。その段階では、リーダー自身が、しっかりリーダーシップを発揮する必要があります。

 リーダーシップは、大きく分けると二種類あります。一つは、グループをぐいぐい引っ張っていく機能。これを「パフォーマンス機能(P機能)」といいます。もう一つは、グループの雰囲気をよいものにする機能。これを「メンテナンス機能(M機能)」といいます。

 どちらの機能が欠けても、グループは成長していきません。初期の段階では、特にリーダーに、両方のリーダーシップが求められるのです。

次第に、グループとして成り立ってくると、メンバーに役割を与え、リーダーシップを分かち合うことも大切になります。「今日の話題は、Aさん、あなたの得意な分野だから司会をお願いします」「Bさん、今日は責任をもって記録を取ってください」「Cさん、今日の片付けは、あなたがリーダーになってよろしくお願いします」などと役割を与え、リーダーシップを発揮してもらいます。

また、そういった役割分担をしなくても、リーダーシップを分かち合うことはできます。つまり、何気ない話し合いでも、リーダーシップを分かち合ことはできるのです。メンバーの誰かが、「今日は時間もないことだし、とりあえず、Aさんの提案でやってみよう」と言えば、それはP機能のリーダーシップを発揮したことになるのです。また、話し合いが行き詰まっているときに、誰かが冗談を言って、グループの雰囲気を和やかにすれば、M機能のリーダーシップを発揮したことになるのです。

私が、かつて大学で専任教員をしていたとき、こんなことがありました。少人数の演習クラスで話し合いをしていました。そのときに「リーダーシップ」が話題にあがりました。ある女子学生が、「私は、子どもの頃から一度もリーダーシップを発揮したことがありません」と言いました。その学生は、大人しく、順番が回ってこないと発言をしません。小柄で、とても可愛い顔をし、話し方は穏やかでした。彼女が話すと、クラスの雰囲気がとても和やかになるのです。私は、次のようにコメントしました。「あなたが話すと、みんないい顔するでしょ。これがリーダーシップなんですよ。あなたは大人しいし、あまり発言しないけれど、たまに発言するとみんなを和ませるから、一日に一回発言すれば、あなたはちゃんと役割を果たしている」。




2011年10月27日(木)

グループワークの専門技術・・・・・リーダーの役割(1)

 「集団の不思議な力」を活用し、よいグループを作っていくためには、また、そのグループをそれぞれのメンバーの成長に向けて活用するためには、いくつかの大切なポイントがあります。ここでは、そのポイントを分類し、整理しておくことにします。これは、グループワークの専門技術になるのです。また、リーダーとしての役割でもあるのです。

①まとまりのあるグループを作る

 グループは、何らかの目的があって作られます。グループそのものの目的は、共有できているかもしれませんが、メンバーのグループに対する思いは、みな違うかもしれません。まずは、初期の段階で、それぞれのメンバーが、グループにどのような期待や不安をもっているのかを出し合い、共有します。そのために、リーダーは、率先して受容的な雰囲気を作っていきます。そのリーダーの態度や姿勢が、メンバーがお互いに受容的に話を聴き合うお手本になるのです。

 また、メンバー自身が、お互いに助け合って、これからいろいろな形で生じる問題を解決してく意識を作ります。そのためには、「お互い助け合いましょう」「私たちで問題を解決していきます」などの声かけをしっかり行います。このときに、「あなたたち」ではなく、「私たち」あるいは「われわれ」という言葉を使うことが大切です。そのことによって、無意識のうちに仲間意識が高まるからです。

②グループの圧力をうまく活用する

 以前、「集団の圧力」が課題となることを示しましたが、逆にうまく活用することによって、グループは成長します。

 まず、初期の段階で、グループのルールを申し合わせます。「時間には遅れないようにする」「ほかの人を批判しないようにする」「ほかの人の話に口をはさまない」「非現実的なことは言わない」など、基本的なルールです。「大人だから必要ない」と思うのは間違いで、逆に、大人だからこそ基本的なルールを申し合わせておかないと、不都合なことが起こるのです。そして、ルールを守るように働きかけます。

 また、グループの規範に気づくように、グループ全体や一人ひとりのメンバーやメンバー同士の関係をよく観察します。そして、よい規範は、言葉にしてメンバーに示し、これからも維持できるように声かけをします。よくない規範は、先ほど示した方法で、よい規範に変えていきます。

 さらに、ルールやよい規範は、グループの圧力となりますが、グループの状況をよく観察しながら、その圧力を強めたり、弱めたりして、グループの成長に活用します。

 たとえば、「順番に話さなければならない」という規範があるとしましょう。みんなが意見を言うためには、よい規範なのですが、ときには、よくない規範になるときもあるのです。今日の話題は少々重く、話したくなさそうにしているメンバーがいるなどという場合、「順番に話さなければならない」という規範は、そのメンバーにとって、たいへんなストレスになるのです。ですから、そのような場合は、「今日の話題は少々重いので、順番に話すのはやめて、話したい人だけにしましょう」、あるいは、「今日も順番に話しますが、話したくない人はパスしてもいいことにしましょう」などと圧力を緩めます。リーダーには、その雰囲気を読み取るセンスが求められるのです。




2011年10月19日(水)

グループワークとは(2)

一方、先輩のグループは、活気に満ちあふれていました。みんな仲良くまとまり、元気いっぱいです。先輩をふと見ると、大きな石の上に座って、ニコニコしながら子どもたちを眺めているだけでした。食事のときも、子どもたちは、率先して準備し、いかにも楽しそうでした。「先輩は、どうやってグループ作りをしているのだろうか」と不思議に思いました。

キャンプ場では、毎晩スタッフミーティングが行われました。私は、先輩やスーパーバイザーに相談をしました。そして、アドバイスにしたがって、子どもたちとかかわりました。次第にグループはまとまってきました。子どもたちも笑顔を見せてくれるようになりました。追いかけ回さなくても、「グループの一員だ」という自覚をもって行動してくれるようになりました。

やっとわかりました。私は、一人ひとりの子どもを見ていなかったのです。よいグループにしようと、グループ作りばかりを考えていました。一人ひとりの子どもたちと顔をつき合わせ、話を聴く。そして、一人ひとりの子どもたちを固有の存在として認める。そうすると、自ずとグループがまとまってきたのです。グループがまとまると、ますます、一人ひとりの子どもたちも元気を出していきます。そうしたよい循環が起こってきました。

私は、身をもって、グループ作りは手段であることを知りました。目的は、一人ひとりのメンバーの成長なのです。目的達成のためには、一人ひとりのメンバーを大切にする。いわば「個人の尊重」をしないことには、よいグループにもならないし、メンバーの成長も図ることはできないのです。私は、学生時代に、身をもって「グループワークのあり方」を学びました。




2011年10月15日(土)

グループワークとは(1)

 「グループワーク」という言葉から、グループで何か作業や活動をするというイメージをもつ人は多いかもしれません。しかし、ここで、私が示したい「グループワーク」とは、単なるグループでの作業や活動ではなく、人を支援する援助技術の体系を意味しています。それは、利用者さんや患者さん、生徒さんなどを対象とする場合はもちろんですが、それだけではなく、援助者の組織やチームを集団として育て、一人ひとりのメンバーの成長を図る場合にも活用することができます。その際のリーダーは、グループワークの専門技術を身につけた「グループワーカー」でもあるのです。

 以前、集団には不思議な力があることを示しました。思いもよらない力が働くとも示しました。グループワークの専門技術は、こうした集団の力を意図的に活用して、集団を成長させていくのです。ただし、「集団の成長」は、あくまでもグループワークの手段なのです。目的は、一人ひとりのメンバーの成長や問題解決をするというところにあります。手段と目的とを取り違えないように気をつけないといけません。

 私は、学生時代に、ボランティアとしてキャンプリーダーをしていました。キャンプ場に行ったら、いろいろと世話をしてくれたり、ゲームをして楽しませてくれる、いわゆる「キャンプのお兄さん」です。私がやっていたのは、主に障害をもった子どもたちのキャンプでした。また、障害をもたない子どもたちとの統合キャンプもしていました。

障害をもった子どもたちの場合は、一つのグループを複数のキャンプリーダーで担当します。障害をもたない子どもたちの場合は、一〇人ぐらいのグループを一人で担当するのです。私が、初めて障害をもたない子どもたちのグループを担当したときのことでした。私は、子どもたちをまとめ、よいグループにしようと必死でした。ところが、子どもたちは、バラバラでまとまろうとしません。私は、子どもたちを追いかけ回し、グループに引き込もうとしました。でもダメでした。私はヘトヘトになりました。食事のときも、本来楽しいはずなのに、みんな元気がありませんでした。




2011年10月12日(水)

集団の成長段階

③お互いに成長する段階

 しかし、ここからが問題なのです。気持ちよく楽しいだけでは、集団としても個人としても成長は望めないのです。成長のためには、メンバー同士がお互いに刺激をし、励まし合う必要があります。お互いの成長を願うのであれば、ときには厳しい指摘をし合うことも必要になります。その際、激しい意見の交換もあるかもしれません。

 ここで、以前示してきた「集団」としての課題の克服が求められます。特に、日本人の文化的特性から、仲間意識が生まれることで、指摘しづらくなることなどが、この段階への成長を邪魔するかもしれません。ですから、あえて課題を共通認識し、「じゃあ、どうしようか」という話し合いをする必要があるのです。

 この段階では、「気持ちがいい」「楽しい」だけではなく、あまりにもストレートなほかのメンバーからの指摘に対して、「腹立たしい」「情けない」といった気持ちを抱くことにもなるのです。しかし、よく考えてみると、ほかのメンバーからの指摘は当たっています。自分では気づかなかったことかもしれません。自分が成長するためのヒントかもしれません。この段階まで集団が成長していると、ストレートな指摘も受け容れることができるようになるのです。

 ここまでくると、激しいやりとりも、エネルギーに満ちた情熱的な議論だと思えるようになります。すると、お互いに指摘をし合うことによって、すっきりとした気分を味わうことができるようになるのです。質の高い話し合いで議論は深まり、たくさんのアイデアも出てくるのです。

 以上のような「仲間集団」としての成長は理想かもしれません。しかし、前向きに気持ちよく、そして効果的に仕事をするためにも、少しでも理想に近づけるように努力をしたいものです。一人ひとりのメンバーの対人援助職としての成長をもたらし、結果的に、燃え尽きを防ぐこともできるのです。

「話し合いをすれば、みな好き勝手なことを言ってまとまらない」という話をよく聞きます。これは、未だに「お互いに探り合う段階」にいて、みな自分を守ろうとしている典型的な例なのです。




2011年10月09日(日)

集団の成長段階

 「よい集団規範作り」や集団の活性化のための「小集団活動」、また「集団決定法」について紹介してきました。しかし、どのような集団でも、これらが有効かというと、必ずしもそうではありません。「みんなお互いに無関心で、自分のことしか考えていない」「うっかり発言をすると何を言われるかわからない」といった雰囲気のある集団では、意見を出し合って前向きに話し合うことすら困難です。つまり、紹介したような方法が成り立つためには、集団がそれなりに成長している必要があるのです。では、成長した集団とは、いったいどのようなものなのでしょうか。ここで、集団が、どのような段階を追って成長していくのかについて考えていくことにします。その成長の段階は、組織やチームが「仲間集団」へと成長していく過程なのです。

①お互いに探り合う段階

 組織やチームに数人の新しいスタッフが加わった、あるいは、お互いに知らないメンバーが初めて顔を合わせたといった会合で、いきなり集団として、目的に向かって活発に動き出すということは難しいかもしれません。お互いにメンバーがどんな人なのかがわからない状況です。いかにも気が強そうで、顔を見ているだけで圧倒される。逆に、気が弱そうで、少しきついことを言われると泣き出しそう。いろいろな人がいます。しかし、人は見かけだけでは判断できません。あなたも経験として知っていることでしょう。ですから、ほかのメンバーに探りを入れます。

 しばらくは、このような状態が続きます。こんなときに、自分でも情けないと思っていること、深く思い悩んでいることを告白する人はほとんどいないでしょう。天気の話などお互いに当たり障りのない話をしながら、相手の反応をうかがうのです。

 集団は、最初、こうした「探り合う段階」から始まるのです。このような段階で、効果的な話し合いを期待するのは難しいのです。

②集団として成り立つ段階

 探り合う段階がいつまでも続いたのでは、仲間集団としての成長は望めません。また、仕事もはかどりません。お互い名前を知り、プライベートな話もして、気心が知れていきます。また、組織やチームは、必ず目的をもって作られているので、その目的を達成するために、話し合いも行われます。新しく加わったメンバーは、元からいるメンバーに仕事の流れを教えてもらいます。そして、次第に集団としての関係が築かれていきます。

 お互いに気心が知れ、関係が築けてくると、お互いに話しやすくなります。自分の意見も言いやすくなります。気が合わないと感じても、目的は共有しているわけで、会議や日常の仕事を通して、仕事上の気心は知れていきます。「どうせやるなら楽しくやろう、気持ちよくやろう」という気運も高まります。みんな仲良く、和気あいあいと仕事をしようという気持ちが支配的になり、周りからも楽しそうに見えます。ここまでくると、共有する目的達成に向かって、集団としてのまとまりができてきたことになります。ここまでくると、集団として成り立ち、「仲間集団」と呼べるかもしれません。




2011年09月30日(金)

集団決定法

 さて、小集団活動を具体的に進めるために、「集団決定法」という方法を紹介しましょう。

 集団決定法とは、集団での話し合いに加えて、メンバー一人ひとりが「私はこういうことをするぞ」と意思表示する方法です。つまり、集団決定=集団での話し合い+一人ひとりのメンバーの意思表示ということになります。

 集団決定法が、始められたのは、第二次世界大戦中のアメリカで、「グループ・ダイナミックス(集団力学)」の創始者として有名なクルト・レヴィンが行った実験(戦争で肉不足の折、主婦たちに内蔵調理をするように働きかけた実験。当時アメリカには内蔵を調理する習慣がなかった)が最初だといわれています。以後、多くの実験の結果、非常に、集団や集団のメンバーの意識や意欲を高める効果がある方法だとわかりました。

 では、何がその効果を高めたのでしょうか。

メンバーの意識の高まり

 人は、他人事だと思ったら興味や関心をもつことすらしない傾向にあります。選挙を思い出してください。投票率の高いときもあれば低いときもあります。高いときは、多くの人たちが、社会情勢に興味や関心を寄せているという証拠です。低いときは、多くの人にとってどうでもよく、他人事として捉えているときなのです。人というのはそんなものなのです。あなたの身近なところにも、こういったことがたくさんあるのではないでしょうか。

 ですから、集団での話し合いには、できるだけたくさんのメンバーが参加できるように配慮することが大切になります。たくさんのメンバーといっても、話し合うときは、もちろん小集団の形を取ります。複数の小集団を作ったらいいわけです。そして、具体的に自分の問題として、想像をめぐらせて考えてもらうのです。そうすることによって、メンバーが「自分自身の問題」であることに気づき、意識するようになるのです。自分自身の問題である意識が強ければ強いほど、真剣に考えるようになります。

不安の共有

 また、集団だと自分以外に複数のメンバーがいますので、いろいろな意見を聞くことができます。メンバーにはそれぞれ個人的な思いがあるでしょう。必要性はわかったものの不安もあるでしょう。話し合いではそれを出し合い共有するのです。

 管理者や上司が一方的に説明しただけでは、一人ひとりのメンバーの思いに寄り添ったものにはなかなかなり得ません。そうなると、メンバーが抵抗を感じることもよくあります。

 一方、同じ状況の中にいて、同じ方向に向かっている集団では、不安や心配する気持ちをお互いに表現しやすいのです。また、人は、自分の気持ちを口に出し表現することができるとホッとします。その安心感を味わうことが大切なのです。

たくさんの意見や情報

 集団だと、一人で考えるよりもたくさんの意見が出てきます。たくさんの情報も得ることができます。ここでは、以前示した「主観的な目」を大いに発揮してもいいわけです。つまり、自分自身が感じることを大いに表現するのです。たくさんの主観的な目が集まると、客観的な目に近づきます。ただし、リーダーは、メンバー同士の誹謗や中傷を避けなければいけません。あまりにもマイナスの感情が爆発したような意見が出ることも避けなければいけません。ここは、リーダーの力量が最も問われるところです。

 それぞれの立場からの意見や情報がたくさん出てくると、メンバーは、お互いに「なるほど、そういう見方もできるのか」と感じるようになります。つまり新たな気づきが生まれ、発想が広がるのです。また、「お互いに受け容れてもらった」という気持ちにもなります。そうして、さらに安心感が高まるのです。

新しい集団規範から生まれる意思表示

 集団で話し合いをしているうちに「仲間意識」が生まれてきます。その雰囲気の中で、それぞれのメンバーが一人ずつ意思表示をします。みんなで話し合ったことを受けて、「私はこうしたい」「私ならこれができる。明日からやってみようと思う」などです。頭の中で密かに決意するのではありません。あくまでも言葉に表して意思表示をします。これは、仲間への約束になるのです。

 私は、少人数の研修では、最後に必ずやっていますが、この仲間に対して約束をする時間は、私も含めてメンバーが一体感を感じる心地よい時間になっています。その集団の中には、「みんなそれぞれ頑張ろう」という新しい規範ができているのです。この規範ができれば、各自それぞれの仕事に散っていっても「仲間への約束」を守ることができるようになるのです。日本人の文化特性でみてきた恥の文化、「誰も見ていないから、しなくても大丈夫」ということにはならないのです。




2011年09月28日(水)

小集団活動

 小集団活動とは、通称QC(Quority Contorol)サークルとも呼ばれています。戦後の経済成長とともに生まれました。焼け野原になったわが国を復興させるためには、まず、人々の福祉とともに物を作ることが最優先の課題でした。そこで、製造業を中心に生産性の向上に力が注がれました。その結果、製品の品質向上を実現し、世界中から高い評価をもらいました。しかし、こうした順調な流れの一方で、大規模化した設備の操作ミスや事故、人工災害も頻発しました。生産性と品質向上、事故や人工災害の防止、すべてに解決策が求められたのです。

 それに対する具体的な方法として「小集団活動」が提案されたのです。大きな組織の中に小さな集団を作り、すべてのメンバーを意志決定に参加させるというものです。多くの企業や職場でこの方法が取り入れられ、大きな成果をもたらしています。

トップダウンとボトムアップ

 組織を運営管理する方式は、大きく分けると「トップダウン」か「ボトムアップ」のどちらかになります。トップダウンとは「組織の上層部が意思決定をし、その実行を下部組織に指示する管理方式」。一方、ボトムアップとは「下からの意見を吸い上げて全体をまとめていく管理方式」だといえます。

 戦後、トップダウンが主流でした。小集団活動の提案は、その方式の見直しを迫るまさしくボトムアップの方式でした。

 ところが、「小集団活動をやってみたがうまくいかない」という批判も出るようになりました。その事例を検討すると、案外単純なミスが見つかりました。

 何でもかんでも小集団活動でということで、今までトップダウンでうまくいっていたことも、「小集団で検討しろ」となったわけです。下部の人にしてみたら、「そんなことまで検討させるの?、そんなことは上で決めてよ」となるのです。つまり反感を招くのです。ですから、トップダウンでうまくいくことは、トップダウンで運営すればいいわけです。その見極めが大切です。

小集団活動の落とし穴

 小集団活動をしてボトムアップを図ろうと見極めても、気をつけないといけないことがあります。下部の人たちから、「ただでさえ忙しいのに、よけいな仕事を押しつけられた」という不満が出ないとも限りません。一方的に「話し合いなさい」と命令が降りてきたのでは、下部の人たちもたまったものではありません。

 小集団活動は、質の高いサービスがスムーズに提供されるように話し合う場です。組織やチームの意欲を高めるものでもあるのです。それをきちんと伝えることができなかったら、リーダーや上司、管理者としては失格かもしれません。逆に、反感を招くだけなのです。




2011年09月24日(土)

集団の活性化

 誰もが働きやすい職場を望んでいます。これは、全職員に共通する気持ちだといってもいいでしょう。過剰なストレスを感じない、たとえストレスを感じたとしても、仲間たちの支えで軽くすることができる。そして元気に働くことができる。職員たちが明るく元気に仕事ができないことには、利用者さんや患者さん、生徒さんたちにも必ずよくない影響を与えます。その影響がさらにストレッサーを作り、抜け出せないストレスに陥るのです。

 明るく元気に仕事をするためのキーワードは「活性化」だといえるのでしょう。では、どのようにすれば、集団を活性化し、仲間集団へと成長させることができるのでしょうか。

 集団を活性化させるためには、まず、集団を変化させることを考えてみます。変化というと、大げさに組織の仕組みや国の制度を変えることをイメージされる人は多いかもしれません。それはかなりたいへんなことです。国の制度など非常に大きなものになれば、あなたの所属している組織やチームがいくら頑張ってみたところでどうすることもできません。組織やチームの仕組みを変えるにしても、いきなりどうすることもできません。小さな変化の積み上げが大切なのです。

 リーダーが、「変われ」と号令をかけるだけで変わるものではありません。以前に示した「変化への抵抗」もあるのです。そこで、さきほど示した「よい集団規範作り」のような段階を追った方法が必要なのです。

 次に、少し観点を変え、集団の活性化のために、「小集団活動」と、それを具体的に進める「集団決定法」を紹介しておくことにします。




2011年09月18日(日)

よい集団規範作り

 では、どのようによい集団規範作りをしたらいいのか、段階を追って考えていくことにします。

第一段階:自分たちの規範の現状を知る

 まず、自分たちの行動を振り返る作業から始めます。そして、自分たちの職場集団には、どのような規範が存在しているのかを探し出します。規範そのものを見つけるのが難しいようであれば、「多くの職員が共通してやっていること」を見つけてください。このときには、よくないことばかりではなく、よいことを見つけることも重要です。よいことは、現在その集団がもっている強さになるからです。

 「利用者さんへの挨拶はよくできている」「この頃遅刻をする職員が多い」「昼休みには歯磨きをしている」「提出物を期限までに提出しない」「申し送りはきっちりできている」「仕事中に私語が多い」「時間にルーズだ」「会議では特定の職員しかしゃべっていない」・・・・よいこともよくないことも混ざっていますが、探してみれば結構見つかるものです。

 ここで大切なことは、みんなで話し合いをするということです。話し合いをすると、よい規範作りに参加しているという意識が芽生えてきます。

第二段階:自分たちのよくない規範の現状を認識する

 次に、見つけた自分たちのよくない規範を認識するという話し合いをします。規範は、最初「暗黙の了解」だと紹介しました。暗黙の了解ですので、日頃意識に登っていないことが多いのです。また、それをよくないことと捉える基準もみな違います。たとえば、たまたま一人のメンバーから、「仕事中に私語が多い」というよくない規範が出されても、「いやそんなことはない」というメンバーがいるかもしれません。ですから、みんなが「それは確かによくない規範だ」と認識でき、「それは改善しよう」と合意できるような話し合いをします。

第三段階:改善する現実的で具体的な方法を考える

 みんながよくない規範があることを認識し、「改善しよう」と合意を得ることができれば、現実的で具体的な改善方法を考えます。ここでも、みんなで話し合うことが大切になります。というよりも、みんなが意見を言うといった方がいいかもしれません。リーダーが自分の意見を押しつけていたのでは、他のメンバーは意見を言うことができません。リーダーの役割は、みんなが意見を言いやすい雰囲気をつくり、意見を引き出すことなのです。

 ただし、メンバーから非現実的なできもしない方法が出されたときは、指摘をする必要があります。意見を引き出すことにとらわれて、できない方法を考えても意味がないのです。

第四段階:考えた方法を実行する

 現実的で具体的な方法が見つかれば、それを実行します。ここでもリーダーの役割が問われます。リーダーが「決まったことは実行しろ」と圧力をかけると、ほかのメンバーからの反発を招きます。リーダーが率先して実行するのです。それを見ていたほかのメンバーは実行する気持ちになります。みんなが実行するようになれば、それが新しい規範となり、集団の常識となるのです。

 もし、実行できないメンバーがいると、リーダーは、まず個別に話を聴いてみます。現実的で具体的な方法を考えたのに実行できないということは、そのメンバーの心に何か引っかかりがあるはずです。話し合いのときには言えなかったのかもしれません。そのときは納得したけれど、あとで「やっぱりそれはおかしい」と思ったのかもしれません。いずれにしても何か引っかかりがあるので、十分話を聴いてみます。その結果、「もう一度みんなで話し合いをして考え直した方がいい」と判断すれば、話し合いをします。

第五段階:実行した結果を評価する

 実行した結果を評価することも大切です。予想以上の効果が現れる場合もありますが、思ったほど効果が現れない場合もあります。結局、ほとんどのメンバーが実行できなかったという場合もあるかもしれません。いずれにしても、評価をする時間を設け、メンバーから意見を聞きます。

 そして、必要な段階までもどってやり直すのです。一度この段階を踏んだからといって、うまくいく場合はほとんどありません。何度も何度も繰り返す必要があるのです。むしろ、終わりはないといった方がいいかもしれません。また、何度も繰り返す過程をメンバーみんなで経験するということも大切です。それが仲間意識につながるのです。




2011年09月16日(金)

集団規範の改善・・・よくない集団規範

 以前、集団には「暗黙の了解」という課題があることを示してきました。「会議には遅れてはいけない」「会議には早く行くよりも少し遅れる方がいい」といった例をあげて説明しました。このような暗黙の了解を「集団規範」と呼びます。集団規範は、集団の圧力にもつながるものなのです。なぜならば、特に申し合わせをしなくても、メンバーが集団の中で行動したり判断したりする際の基準になるからです。それがよいものであるならば、維持するか、よりいっそう強化すればいいでしょう。しかし、よくないものは改善しなければならないのです。

○よくない集団規範

 組織やチームを思い浮かべると、さまざまなよくない集団規範が存在します。あなたも思い浮かべてみてください。

 「目標は、そこそこ達成すればいいが、達成できなくても仕方がない」「あの利用者さんはいつもやっかいなことを言ってくるから、適当にあしらっておけばいい」「退社間際の電話に出ると、定刻に退社できないから出ない方がいい」「研修の復命書なんかどうせ誰も読まないんだから、適当に書いておけばいい」など・・・・。このような集団規範は、それぞれのメンバーの仕事に対する意欲によくない影響を及ぼすことになります。

 もし、意欲的なあなたが、このような集団規範のある意欲の低い職場集団に配置換えされたらいかがでしょうか。あなたは、まず集団全体の意欲のなさに呆れるでしょう。一人で頑張ってみますが空回りします。頑張っているのに、他のメンバーから白い目で見られます。居心地が悪く、イライラのしどおしではないでしょうか。それこそ、ストレスが溜まって燃え尽きてしまいます。また、ほかのメンバーは、あなたをスケープゴートにして、自分たちで、こじんまりとまとまってしまうかもしれません。

 こうした集団規範が存在している以上、その集団の成長は閉ざされることになるのです。いくら意欲のある人が、一人で鼻息を荒くして訴えかけても疲れるだけです。ですから、集団規範そのものを改善、つまり、よい集団規範作りをしていかなくてはならないのです。




2011年09月11日(日)

集団の不思議な力

 今まで示してきたように、集団を高めていくためには、さまざまな課題が存在します。その課題を書き出してみて、改めて気づいたことがあります。「集団というのは何とも不思議な生き物だ」ということです。よくも悪くも集団には不思議な力があるようです。不思議な力が働いて、集団の形がどんどん変わっていくのです。その集団を構成しているのは一人ひとりのメンバー。集団の形が変わっていくということは、一人ひとりのメンバーやメンバー同士の関係も変わっていくということなのです。

 今まで書いてきたことも含まれますが、ここで改めて、集団の不思議な力について整理しておくことにします。

 あなたも今まで体験してきた集団を振り返ってみると、不思議な力を感じたことがあるのではないでしょうか。ある集団に属していると、「とても心地よい」「みんな私を受け容れてくれる」「温かさを感じる」「もっとこの集団の中にいたい」。まったく逆もあります。「みんなピリピリしている」「お互いに足の引っ張り合いをしている」「みんな自分のことばかり主張して他人を受け容れようとしない」「一刻も早くこの集団から逃げ去りたい」。まったく同じ集団でも、「昨日は居心地がよかったのに、今日は居心地が悪い」ということもあります。

 こんなこともあります。「団体競技をやっているときに、みんな勝利に向かって強い一体感を感じた」。逆に、「みんな気持ちがバラバラでまったく勝つ気がしなかった」。

 また、スポーツチームを思い浮かべるとわかりやすいのですが、あるチームは、「一人ひとりの選手をみるとそんなに強い選手ではないのに、チームになるととても強い」。その逆もあります。「一人ひとりの選手はとても強い選手なのに、チームになると弱い」。

 さらに、集団で話し合いをしていると、「絶対に変わらないと思っていた自分の考え方が変わった」。逆もあります。「自分の考えがしっかり固まっていなかったのに、メンバーの意見を聞いているうちに固まった」。

 そのほかにもたくさんあると思います。私たちは、こうした集団の不思議な力を体験として知っているのです。組織やチームを仲間集団にし、一人ひとりのメンバーの成長を促したり、問題を解決したり、また本書の主題であるメンバー同士の支え合いや高め合いをもたらすためには、この集団の不思議な力を活用することになるのです。そのためには、リーダーの存在が必要になります。リーダーが意図的にメンバーに働きかけ、よい不思議な力を引き起こします。たとえ、よくない結果になり、メンバー間に葛藤が生まれたとしても、メンバーで一緒に克服するという体験をすることで、より強いつながりのある集団にしていきます。

 ところが、リーダーが意図したように働きかけても、集団は思うように動かないことがよくあります。集団には「思いもよらない力」が働くのです。これも集団の不思議な力といえるでしょう。リーダーの意図的な働きかけと、集団の不思議な力とが融合されて、集団は成長していくのです。リーダーの役割については、グループワークの専門技術として、のちほど詳しく示すことにします。




2011年09月07日(水)

集団としての課題・・・まとめ

 仕事をしていく上でも、人は、人間関係を避けることができません。対人援助の仕事は、援助を必要とする人たちの人生を支える専門職を中心とした組織やチームで行います。利用者さんや患者さん、生徒さんなどとの人間関係をよいものにするのも、よくないものにするのも、組織やチームの人間関係、ひいては、それぞれのメンバー間の対人関係次第だということは、「対人関係の連鎖」として示してきました。ですから、どんな仕事でもそうかもしれませんが、とりわけ対人援助職は、繊細で複雑な内面の動きを経験することになるのです。

また、それぞれのメンバーの気持ちや状況を客観的な目で眺める必要性も示してきました。ここでは、さらに、個人と集団とは切っても切れない関係にあることから生じる課題についても整理をしてきました。人が集まり、集団を形作ると、自ずといろいろな課題が生じてきます。こうした課題が、組織やチームの集団としてのつながりやまとまりを壊していくのです。ですから、これらを克服し、逆に集団の力を活用しながら、組織やチームの人間関係を育てる必要があるのです、それが可能になれば、組織やチームそのものが、それぞれ個々の対人援助職の専門性を高める後ろ盾になるのです。

次は、集団の課題をいかに克服し、逆に集団の特性を活用することによって、集団を高めていく。いわば、組織やチームのメンバーを「仲間集団」に成長させるための具体的な方法について考えていくことにします。




2011年09月02日(金)

日本人のコミュニケーション(2)

 いくつか日本人の文化的特性をあげましたが、あなたにも思いあたるところがたくさんあるのではないでしょうか。これらを集約し、「集団」の課題として、以下の七つに整理しておきます。
①共通性やつながりが持続する関係を求めようとするので、「違い」のある人たちとはよい関係を築きにくい。
②相手を思いやろうとするが、実際には相手の立場に立ったものではなく、自分一人の思い込みである可能性がある。
③気心が知れてくるまでは、お互いに探りを入れ、気が合うか合わないかといった基準で仲間(ミウチ)作りをする可能性がある。
④気心が知れてくると、多くを語り合わなくなるので、実際には「違い」が生じる可能性が高くなる。しかし、「違い」があっても気づきにくくなる。
⑤「違い」に気づいたとしても、感覚的につながっていると感じるよい関係を維持するために、お互いに指摘しづらくなる。
⑥仲間(ミウチ)では、みなが同じように考えることが当然だという意識があるため、違う意見を主張する人が現れたときに、仲間は結束を固め、ヨソモノとしてその人を排除しやすくなる。
⑦仲間(ミウチ)意識ができてくると、結束は固くなるが、馴れ合いが生じ、集団内の人間関係において公私の区別がしにくくなる。




2011年08月28日(日)

日本人のコミュニケーション(1)

日本人は、自分が所属する集団の人間関係において、自分はどういう位置、役割、立場にあるのかをよく考え、コミュニケーションを図るといわれています。つまり、「自分が何を発言したいか」ではなく、この関係の中で「何を発言すべきか」「何を求められているのか」を考える。ですから、その場の状況や他者との関係の違いによって、発言や態度も違ってくるということが起こるのです。

また、先ほど示したように、日本人は、自ずと相手を思いやり、相手の気持ちや立場を考えます。そして、相手とのその後の関係にまで気をまわすような態度をとります。ただし、日本人は、相手との関係が築けていない、あるいは、相手のことをよく知らない段階での話し合いは苦手だといわれています。相手を探ることに気持ちが集中し、話す内容は二の次になるのです。話し合うことができるようになるということは、それは、本当に気が合っているか、もしくは、一方が自分を犠牲にして相手に合わせているかのどちらかになるのです。

さらに、気が合った関係であればあるほど、自分の意見を言いやすくなりますが、一方で、「多くを語らずともわかってもらっている」、あるいは、「多くを語らずともわかり合えている」という気持ちが生じ、細かいことは語り合わなくなります。逆に、気が合わないと、意見が言いにくくなり、多くを語り合わなくなります。つまり、いずれにしても、日本人は、多くを語り合わないのです。日本には、「多くを語る方が避けられる」、あるいは、「多くを語らない方がいい」といった風潮もあるような気がします。

そのため、お互いに食い違いがあっても、気づかない可能性が生じてきます。でも、「わかり合えている」という気持ちのつながりがあればそれでいいのです。




2011年08月26日(金)

ミウチとヨソモノ

日本人は、相手がミウチであるかヨソモノであるかによって、ずいぶん態度を変えるといわれています。ここでいう「ミウチ」とは、血縁関係にある親子や親族をさすのではなく、感覚的に「仲間」と感じる人たちとの間に抱く意識なのです。お互いに自分を相手にゆだね、どのようなことでも話すことができる遠慮のない、いわゆる「気心が知れている」関係だといえます。

逆に、「ヨソモノ」つまり「気心が知れない」関係では、お互いに自分を相手にゆだねることはできませんし、人間関係を築くことが難しくなります。相手をヨソモノだと感じていると、必要以上によそよそしくなる。また、ミウチ、あるいは、仲間といるときほど、ヨソモノに対して冷たい態度をとる。ヨソモノが、自分たちよりも劣勢だとわかると、その冷たさはよりはっきりし、優越感を抱く。それが、ヨソモノへの非礼にもつながるということもあるのです。さらに、ヨソモノを排除しようとすればするほど、ミウチの結束は固まるという法則も成り立つのです。

ミウチとヨソモノの違いは何かというと、さきほど示した「共通性やつながり」なのです。ミウチの結束を固めるときには、「共通性やつながり」をよりはっきりさせるということになります。

このような状況であることを、日本人は、生まれ育った文化と歴史の中で、言語化しないまでも身をもって知っています。つまり、「今はミウチ関係であっても、何かがあって自分がヨソモノになったとき、ミウチであった仲間が、どのように態度を変えるのか」ということを自ずと知っているのです。ですから、実際につながっているかどうかはともかく、つながっているという感覚がほしいために、つながっていることを装う可能性があるのです。




2011年08月22日(月)

共通性とつながり

日本人は、対人関係において、無意識のうちに共通性やつながりを感じようとし、「われわれはみな同じだ」「すべてお互いにわかり合っている」という感覚を大切にします。こうした共通性やつながりが持続する関係が、日本人にとっての「よい関係」なのです。また、日本人は、非常に対人関係に敏感だといわれています。視線を合わせなくても、会話をしなくても他人の気持ちを感じ取る敏感さをもっているのです。「私がこうすれば、相手はこう感じるだろうから、こうしないでああしよう」。つまり一方的な気づかいをし、ひとり相撲を取ってしまいやすいのです。

自ずと相手を思いやろうとするわけですから、こうした敏感さは、日本人の優れた特性だといえるでしょう。しかし、日本人がよしとする「共通性やつながりが持続する関係」を考え合わせると、「同じ日本人なんだから、感じることや考えることは同じはずだ」という安易な気持ちを抱きやすくなるのです。その結果、相手の奥深いとところまで、見ようとする、聴こうとする、感じようとする努力をしなくなりやすいのです。また、今までにも示してきたとおり、人はみな、自ずと違いを抱えているはずなのですが、「違い」があること自体に違和感を覚えるのです。ですから、日本人は、違いがあるということを認め合いながら生きていくことが苦手な民族なのかもしれません。




2011年08月21日(日)

日本人の文化的特性

 さきほど、日本人は多数意見に同調しやすいと書きました。そこには、日本人独特の文化的特性が反映されています。

 日本人の行動と性格を鋭く分析していることで有名な、ルース・ベネディクトの『菊と刀』では、日本人の文化を、外からの批判を気にする「恥の文化」とし、内面にある良心を意識する西欧の「罪の文化」と対比させています。「恥の文化」について、誤解を恐れず簡単に説明すると、「こんなことをしたら、他人、あるいは、世間に批判されるだろうからしない、してはいけない」というものです。それに対して、「罪の文化」は、「道徳は絶対的なもので、個々人が良心による罪の自覚に基づいて行動する」というものです。飛躍させると、「西欧人は、自分の非行を誰一人として知らなくても罪の意識に悩む。日本人は、人に知られなければ恥ではなく、悩むことはない」となるわけです。さらに飛躍させると、日本人は、「人と違うことをすれば恥ずかしい」「人に知られなければ、何をしても大丈夫」といった気持ちにつながるのかもしれません。こうした文化的特性があり、日本人は、周囲に人がいる集団の中では、多数意見に同調しやすいといわれているのです。

 では、もう少し詳しく、「集団」といった観点から、日本人の文化的特性について整理していくことにします。




2011年08月18日(水)

三人寄れば文殊の知恵(2)

 どうしてこのような結果になったのかを学生に話し合ってもらいました。問題が難しくて、高得点を取った学生も自信がなく、何となく解答したようです。「話し合っているうちによけいに自信がなくなった」と言っていました。高得点を取ったということは、難しい問題でも選択肢を5つから2つや3つに絞り込む知識はもち合わせていたはずです。それでもよけいに自信がなくなって、もっていた知識をグループに反映できなかったようです。

 また、こんな意見も出ていました。グループの中で影響力の大きい学生によって解答が左右されるというものです。その学生が自信をもって解答し高得点を取っていれば、確実にグループの得点も高くなったのでしょう。ところが、問題が難しく、ほとんどがそうではない学生です。結局、高得点の学生をも迷わせてしまう影響力になったのかもしれません。

 この実験では、答えがはっきりしている問題を解いたのですが、答えに自信がもてない場合、三人寄れば文殊の知恵が成り立つことはほとんどないという結論に達しました。これが集団の現実です。

 答えのない問題について話し合う場合は、この限りではないでしょう。でも、今まで示してきたように、変化への抵抗、多数意見への同調や、多数決によって少数意見が排除されるなどという課題がやはり残ったままになるのです。




2011年08月15日(月)

三人寄れば文殊の知恵(1)

 「三人寄れば文殊の知恵」とよくいいます。「凡人でも三人集まって相談をすれば、すばらしい知恵が出るものだ」という意味です。果たしてそれは本当なのでしょうか。

 私は、かつてある大学で、非常勤講師として「グループワーク」という科目を教えていたことがあります。毎年、三人寄れば文殊の知恵が成り立つかどうかの実験をしていました。

 どのような実験かといいますと、まず、少々難しい5択の教養問題を20問用意します。それを個人作業で学生に解かせるのです。次に、答え合わせをせず、グループを作り、グループで問題を解かせます。個人作業で解けば15分もあれば全員答えを出すのですが、グループですと、わからないところを話し合いますので、ほとんどのグループは1時間以上かかります。

 答え合わせをすると、たいへんおもしろい結果が出ました。個人作業での最高得点よりもグループの得点が上回れば、三人寄れば文殊の知恵が成り立ったということになります。ところが、そのようなグループは、数年の実験の結果一つもありませんでした。100%、グループの得点は、個人作業の最高得点と同じか下回っていました。実は、最高得点と同じというグループはほんのわずかで、ほとんどは、個人作業の最高得点を下回っていました。中には、個人作業の最低得点をさらに下回るグループもありました。




2011年08月13日(土)

スケープゴート現象

 そもそも「スケープゴート」とは、「贖罪の羊」のことで、旧約聖書によると、犠牲として神に捧げられる羊のことをさします。人類の罪を身代わりとして負う象徴とされました。新約聖書では、自己を犠牲として人類の罪を負ったキリストをさしています。

 集団では、スケープゴートを作り、ほかのメンバーがまとまるといったことがよく起こります。このことを「スケープゴート現象」と呼ぶことにします。

 あなたの組織やチームではいかがでしょうか。特定の職員の悪口を他の職員が口々に言い合って、こじんまりまとまるといったことが起こっていませんか。悪口を言い合う職員たちは、「自分だけが不満を感じているのではない」と安心します。でも、こういった現象が起こっているということは、組織やチーム内に葛藤が存在しているという証拠なのです。悪口を言い合っていると、ますます葛藤は大きくなるばかりです。集団内の葛藤を自分たちで解決してこそ、つながりの強いまとまりのある集団を作ることができるのです。特定の職員をみんなで攻撃していても何ら解決にはつながりません。

 スケープゴートにされた職員はどうなるのでしょうか。多くの場合は辞めて行くでしょう。でも、その職員が辞めると、今度はほかの職員がスケープゴートにされるのです。

 また、こんなこともよくあります。上司が意図的に悪者になり、部下たちに自分の悪口を言わせてまとまりのある組織やチームを作る。これもよくありません。組織やチームを動かすライン(支持命令系統)を上司自ら壊していることになるのです。これでは、組織やチームは動いていきません。

 集団では、放っておくと、こうしたスケープゴート現象が起こるのです。差別と同じで、人間が本来もち合わせている本能なのかもしれません。世界中の歴史が物語っています。ですから、集団の課題として、認識し、意図的に改善する必要があるのです。




2011年08月11日(木)

暗黙の了解

 集団には、必ず「暗黙の了解」といわれるものが生まれます。申し合わせをしていないのに、知らない間にメンバーの行動や判断を決める基準になるものです。

 たとえば、「うちの職場のメンバーなら賛成するはずだ」「この組織ではこんなことをしてはいけない」などです。あなた自身が、こうした暗黙の了解から外れた行動をすると何となく落ち着きません。ほかの人たちに悪いことをしたような気持ちになります。

 暗黙の了解には、よいものとよくないものがあります。少し具体的に示してみましょう。「会議に遅れてはいけない」。逆に「会議には早く行くよりも少し遅れる方がいい」。あなたの組織やチームには、どちらの暗黙の了解があるでしょうか。

 「会議に遅れてはいけない」とみんなが思っているのであれば問題ありません。「会議の直前に患者さんに呼び止められて遅れてしまった」などといったやむを得ない事情の人以外は、決められた時間までに席に着いているでしょう。

 逆に、ほとんどの人が、「会議には早く行くよりも少し遅れる方がいい」と思っていたらどうでしょう。そんな申し合わせなどしていません。常識として会議には遅れてはいけないのですから。ところが、現実問題として、ほとんどの人は、2分以上遅れてくるのです。いつも5分前には席に着いているまじめな人は憤慨します。でも、こうした暗黙の了解がある以上は、改善されないのです。

 こうした暗黙の了解は、「集団規範」と呼ばれます。意識に昇らない圧力なのかもしれません。集団規範の改善については、改めて詳しく触れることにします。




2011年08月10日(水)

多数意見への同調

 一方、こんなこともあります。「私はこう思うのだけれどみんなと違う。こんなことを言ったら、馬鹿にされるのではないか」。あなたは、こんな不安を抱いたことはないでしょうか。よほどの確信がない限り、一人だけ違った意見を主張することはできないものです。人は、自分の存在が安定していると落ち着きます。一人だけ違った意見をもっていると、集団の中で居心地が悪いのです。ですから、たとえ「それは間違っているんじゃないか」と疑問をもっていても、多くの人の意見に合わせようとするのです。これも集団の圧力だといえます。

 1999年8月14日、こんな事故がありました。「神奈川県山北町の玄倉川。中州に取り残された18人が消防隊員の目の前で濁流に呑み込まれた」というものです。前日から雨が降り、玄倉ダムの職員や警察官が再三、安全な場所に移るように避難勧告をしました。ところが、キャンプに来ていた一行は、「いつもテントを張っているところだから大丈夫」「放っておいてくれ、危なくなったら逃げる」などと拒否。結局、降り続けた雨は、事故当日一時間に38ミリを超える大雨になり、悲劇はあっという間に起こりました。

 18人の中には、幼い子どももその母親もいました。結婚間近のカップルもいました。誰も「避難した方がいい」と思わなかったのでしょうか。不安じゃなかったのでしょうか。特に、幼い子どもの母親は、不安で仕方がなかったのではないかと思います。それにもかかわらず避難しなかったのです。

 一行は、会社の仲間集団とその家族でした。誰も「危険なので、わが家は帰らせてもらいます」などと言えなかったのでしょう。「せっかくみんなで来ているのに、勝手な奴だ」と非難を浴びてしまいます。

 このように、集団の圧力は、命が脅かされるようなときでも威力を発揮するのです。特に、日本人は多数意見に同調しやすいといわれています。これは、目に見えない圧力なのかもしれません。のちほど「日本人の文化特性」として詳しく示すことにします。




2011年08月08日(月)

集団の圧力・・・・多数決

 多数決は、民主主義社会の意志決定の方法として、小学校のホームルームで習いました。何かを決めるとき、学級委員長は必ず最後に「それでは決を採ります」と言っていたような気がします。集団として物事を決めるときに、最も賛成の多かった意見を採用する。確かに現代社会で多く使われている方法なのですが、果たして多数決に問題はないのでしょうか。

 実は、多数決というのは少数派の排除ともいえるのです。これは目に見える集団の圧力なのかもしれません。日頃行動をともにする組織やチームで、いつも多数決で物事を決めていると、やがてひずみが生じてきます。政治の世界で、政党や派閥がいつも激しく対立しているように、あなたの組織やチームでもサブグループができ、激しく対立することになるのです。そして、いつも少数派になるサブグループのメンバーは、すっきりしない気持ちで仕事をすることになります。あるいは、「どうせ言っても無駄だから、もう黙っておこう」などと、あきらめの気持ちや消極的な気持ちをもつことにもつながります。いずれにしても気持ちよく仕事をすることはできません。

 多数決という意志決定の方法そのものは、多くの国々、多くの業界で認められた方法ですので、ときどきは採用してもよいでしょう。ただし、多数決を採る前に、いろいろな角度から意見を調整する必要があります。どの意見にも必ず「なぜそう思うのか」という理由があるはずです。多数意見であれ、少数意見であれ、その理由を出し合い共有するのです。そして、どの意見についても「なるほど」と納得した上で多数決を採ります。決して、少数派の意見を、有無を言わせず切り捨てるのではありません。少数派の人たちがいかに納得するか、少数意見をいかに全体に反映させるかということが、多数決の大きな課題になるのです。




2011年08月06日(土)

変化への抵抗

 抵抗というと、変化への抵抗という現象もあります。人は不思議と変化を嫌うのです。あなたの組織やチームにも変化に抵抗を示す人はいないでしょうか。ひょっとしたら、あなた自身がそうかもしれません。これは「行動の法則」ともいえます。「いつまでも現状のままでいたい」という法則です。これは、ニュートンの法則の中でも「慣性の法則」と呼ばれるものによく似ています。慣性の法則とは、「外力が働かなければ、物体は静止または等速運動を永遠に続ける」というものです。集団の中の人も同じなのです。

 よくこのような人たちがいます。「今のままがいい」「何もしない方が楽だ」という人たちです。こうした人たちは、日頃ゆったりと仕事をしているのですが、ひとたび変化が生じようとすると、恐るべき力を発揮します。新しい体制の悪いところをたくさん見つけて反対し、よいところは見ないふりをするのです。そして、今までの体制のよいところを強調します。人間のやることですから、どの方法を採用しても、よいところもよくないところも存在するはずなのですが、このような人たちには通用しないのです。あなたの組織やチームでも、こうした現象が現れると、新しいことに向かおうとする力を押さえ込むことになるのです。

 

 よくない社会現象をあげれば切りがないかもしれません。あなたの組織やチームを思い浮かべてください。「すでに顕著に表れている」「まだ一定の常識は保たれている」など状況はいろいろでしょうが、こうしたよくない社会現象の縮図が多かれ少なかれ存在するのではないでしょうか。




2011年08月03日(水)

ルールへの抵抗

 社会には、秩序を守るためにいろいろなルールが存在します。国レベルでは、法律によって決められています。自治体レベルでは、条例で決められています。学校にも校則がありますし、あなたの職場にも何らかの規則や申し合わせた手順などは必ずあると思います。

 あなたは、これらのルールに対して、わずらわしいと感じたことはないでしょうか。わずらわしいと感じること自体は、おそらく誰にでもあるでしょう。私にもあります。ほとんどの人は、そう感じながらも、「ルールは守らなければいけない」ことは知っているので守ろうとします。

 ところが、人は誰でも、ルールを守ることができないときがあるのです。私もスピード違反で罰金を払ったことがあります。灰皿のないところでたばこを吸ったこともあります。かつて身体障害者施設で働いていたときに、一人夜勤で誰も見ていないことをいいことに、決められた手順を守らなかったこともあります。

たまにルールに抵抗し守らなかったが、偶然誰にも迷惑がかからなかった。事故も起こらなかった。ということであればまだいいものの(本当はダメですよ)、それが心の緩みなどで度重なると、事故につながったりして、周囲のひんしゅくを買うことになるのです。また一方で、「事故につながらなかったらいい」「誰にも迷惑をかけなかったらいい」「誰も見ていなかったらいい」といった誤った意識をメンバーに植え付けることにもつながるのです。結果として、組織やチームの秩序が乱れていくのです。




2011年08月02日(火)

他人への無関心

 他人の身勝手な行動に注意をしようというのは、まだ、その行動に関心があって、「改めさせたい」という気持ちがあるということです。でも、注意をしようという気持ちになるどころか、まったく関心を示さないという現象も起こります。もし、「改めさせたい」という気持ちがあったとしても、見て見ぬふりをするという人は多いかもしれません。見て見ぬふりをするということは、無関心を装うことなのです。

 無関心、あるいは、無関心を装うことで、いろいろな困ったことが起こっています。「隣の人が何をしていても私には関係ない」。悲鳴が聞こえても知らないふりをする。そのため通報が遅れ殺人事件に至った事件もありました。殺人事件とまではいかないまでも、こんなこともあります。隣は、お年寄りの一人暮らしです。電話をかけても出ないので心配した家族がやってきたら、すでに亡くなっていました。死後10日経っていました。隣の住民は、「そういえば、最近見かけないなあと思っていたところでした」と家族に話しました。

 組織やチームでも、お互いに無関心になることで、大切なコミュニケーションが不足することになるのです。その結果、それぞれのメンバーは、ほかのメンバーの言動の意味をわかろうともしなくなり、反発し合うのです。


フッターイメージ